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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



エントリーを間引いてみた

 

 文章修行と称してとにかくエントリーを量産することをやっていたのですが,本当に「書きたいこと」って何だろうか……とかなり考え込んでしまったってのは先日エントリーしたとおりです。このブログをいったん閉店する方向で考えてはいるのですが,今日また多数のアクセスを頂いている状況です。ほんとすみません m(_ _)m

 とりあえず私自身が「いらない」って思えたエントリーを間引いてみました。実名ブログへの移行の布石でもあります。はてなさんのブログには,1ヶ月以内であればエントリーを復元する機能もあるみたいなので,ひょっとすると思い直して戻すエントリーもあるかも知れませんし,逆に今あるものの中で「いらないや」って思うものもあるかも知れません。匿名である現在書いたものの中で私生活がプロファイリングされてやばくなるもの(家族のことを仔細に書いた内容など)については……自己防衛のために削除せざるを得ないかも知れません。やはり嫁さんとは仲良くしていたいんで(笑)。

 それなりに需要のある書き物と,自分だけにとって必要な書き物,そして「どうでもいい」書き物……そのあたりを冷静に考えてみようと思っとります(笑)。要するにエントリーの断捨離です。「いいね」を頂いたエントリーと,アクセスの多いエントリーは間違いなく残しておきます。何卒よろしくお願いします。

「自分語り」ってモノに先入観を持ちたくない

 

 自分語りする人というのが,ネガティブな受け止められ方をしてしまうことが多いような気がします。自分語りする人の典型っていうのは若者と女性だと思われがち(ストレートすぎて配慮のない表現にうつったらごめんなさい)でしょうけれど……私はその典型はお年寄りだと思ってます。お年寄りと少しばかり打ち解けるとかなりの高確率で(それが良いとか悪いでなく,ひとつの事実として)実に濃厚な武勇伝とか身内話とかを押しつけられてしまうところがあります。本当に本当に申し訳ないのだけど……それとてもしんどかったりする(笑)。

 さまざまなコミュニケーションで避けて通れないものに,「かみ合わせの悪さ」というものがあります。若い世代どうしの場合「かみ合わせの悪さ」に直面したときの気まずさが分かっているから,あえて我を出すことを避けながらなんとか上手くやってるところがあります(よね?)。「かみ合わせの悪さ」を覚悟したコミュニケーションが投げかけられたとき,一方はその不快感の責任を全面的に相手に背負わせようとする。背負わされた側は葛藤(不条理,敗北感,自信喪失など)を余儀なくされる。同級生・同僚のいじめっていうのは,大抵そうやって生まれるもの(……ですよね?)。

 生活において,多くのお年寄りは現代社会との「かみ合わせの悪さ」に葛藤していることでしょう。例えば,喫茶店でコーヒー飲むことひとつを取ってもそう。空いた席を見つけて,ウエイターさんが注文を取りにくるのを待てばいいだけだったはずなのに……先に注文するスタイルの喫茶店が主流。で,後片付けもセルフサービス。机を散らかしたまま店を去ろうとすると,若者のクールな視線が容赦なく刺さってきたりイヤなトーンでひそひそと何か言われていたりする(自分に向けられたネガティブな空気を肌で傍受するような本能って,老若男女問わず誰しも持っていると思う)。スタバでそういう目に遭ったから……と思ってコメダに入ったら,また勝手が違う。牛丼食いてえって思っても,松屋では先に食券買えという。先日行った吉野家と今日行った吉野家ではシステムがまったく違うなんてこともある。宮本むなしで食後の食器を厨房に持って行ってしまうと,きっとぎこちない雰囲気の空間状態になる。厨房の店員さんに笑ってもらえればいいのだけど,彼が必要以上に無愛想に対応してしまったなら,お年寄りのキモチはどこで昇華すればよいのやら。むしゃくしゃしてコンビニでカップ酒を買おうとすると,レジのパネルに確認ボタンが出てきて「確認ボタンを押して下さい」なんて言われてしまうわけで——「そこまでワシと喋ることがイヤか!!」みたいな感じになってしまう。要するに経営者が機能的にしてしまったシステムってのが,お年寄りの自信を否が応でも奪ってしまうような姿をしているんですよね。現役世代はしれっと順応しているものだから,よけいに癪に障るのかも知れない。自分が上手くやれないってことを抱え込んでしまうこと自体,それが疑いなくご当人の抑圧として働くことは想像に難くないですから(粗相に対して笑って弁解できる会話空間や場が用意されないことが一番ストレスフルかも……)。

 誰もが持っているはずの「承認欲求」というものを考えるにつけ,そういうものを抑圧しすぎる方向性に対して懸念を感じています。今回はお年寄りのことをクローズアップしていますが,同世代間のいじめに関してもそうではないかと。「かみ合わせの悪さ」に対して何かの弁解をするときに何かのコミュニケーションを前提とするわけです。そのひとつの手段がまさに自分語りだと思うのですが,その態度への見方がネガティブな方向に触れてしまうのは……傍受する側の嫌悪感が厳しすぎることと,伝える側の絶望感が大きすぎることの両方に理由があると思う。どちらかといえば傍受する側の嫌悪感のほうが擁護されちまってます。対称性のなさが気になるところではあります。

 じゃあどうすればいいのか……残念ながら今の私には,そこまでの聡明で建設的な意見を提示できそうにありません。異質なモノが存在することを「認める」態度だけが救いの道,みたいに感じてます。人間性まで規格化・画一化してどうすんの? っていうのが本音。その人が魅力ある人なのであれば,「しんどい」ってキモチをあえて押し殺して話に付き合うってのもいいんではないかと。酒でも飲みながら傾聴すればいいですよね。そもそも人間関係ってのは(それが肉親であれ恋人であれ夫婦であれ)元々しんどくて当たり前のものではありますし,うまく噛み合わないのも当たり前ではないかと。「互いが空気のような存在」なんて使い古された言い回しがありますが,それは「そこにあって当たり前」という意味だったはずで,存在感を消している状態を意味しているのではなかったような?

きっかけのひとつはASKAさんだった

 

 そもそも,はてなさんとこにアカウント作って出入りするきっかけになったのは,はてなさんとこにブログを持っていらっしゃるASKAさんだったんですよね。顛末はASKAさんご自身が「700番」を執筆されたので,もう私が話すことは何もないのですが……良く解らないけど寄り添いたくなったとでもいうのか,どうしてもコメントを書きに行きたくなってしまったんですよね(笑)。加えて,昨年というのは私自身が想像もしなかった不条理に巻き込まれてしまっていたので,何かを書かずにおれなかったというところもあったわけで。

 私自身の「不条理」に関しては……終止符つける段取りが整いつつあります。私がつっぱりすぎて追い詰められた部分については現実的な折衷策を整えはじめていて,時給にあたるものが半減したぶん仕事量は相当なものになりそうなのだけど……なんとか将来ってものに目途をつけることができそうな見通しが立ってきた。相変わらず三歩進んで二歩さがって……のところはあるんだけど(笑)。

 

 今日,ひさびさにASKAさんとこを覗いたら……ちょっとだけ大変なことになってた。

aska-burnishstone.hatenablog.com

 大丈夫だと思ってます。あの事件のときにしても理にかなった行動をとっておられたわけで……あれだけ面白がってたマスコミ周辺を結果的に「700番」でぴたりと黙らせてしまうことができた。あれ,本当にすごい出来事だったというか……マスコミのゴシップ報道ってのも話半分ぐらいで聴いておかないとってのを身をもって悟った出来事でした。

 人間ってのは徹底的なまでに機能的になんか生きてなんかいけない。因果で納得しながら生きているところがある。ご自分なりに納得した因果ってやつをどうしても話してみたくはなるんだけど,肝心の周囲が主張を聞いてみて……意味わからないから,寄り添ってたつもりの我々はまた動揺する。どちらにも言いぶんがある。

 話はまったくズレてるかも知れないけど,アインシュタイン相対性理論を唱えたとき,本気で理解しようと思った物理学者なんていたんだろうか? 通りすがりの人はきっと「意味わからん」としか思わなかったでしょうから(ちなみにこの人のノーベル賞受賞は「光電効果の発見」であり,相対性理論とはまったく別の業績なんですよね)。天動説が覆されて地動説が堅固になっていった時代も然り。ガリレオ・ガリレイの彗眼からニュートンの時代に移ろっていったわけだけれど,ニュートンの晩年ってのは投機に失敗したり錬金術をめざしたり……凄い人なのだかはちゃめちゃなのだかまるでわからない(笑)。

 でも……それが人間だと思うのです。理解できない物事と出会ったとき——寄り添うために巻き込まれてみるもよし,離れるも仕方なし。いずれにせよご本人がすでに,ご本業でますます忙しくなるって覚悟を決めている新しい段階に入っていきつつあるのです。私はもう「音楽人」ASKAさんの仕事に楽しませてもらう段階だと思っております。コメントはたぶん書きに行かないと思う。少なくともご本業以外の部分に関しては。ただ……危なっかしすぎたらまた何か書きに行かせていただくかも知れない(笑)。それもまた私自身の自己満足でしかないんです。

ご無沙汰してしまいました。。。

 

長いこと留守にしてしまいました。
書くことについて……かなり長いこと考え込んでしまったんです(笑)。
意味なんて別に求めなくてもいいとは考えていたのだけど。

最近,ひたすらROMだったTwitterで呟き始めました。そちらは実名出して。
まだ可能性を決めつけてかかりたくはないと思っているのですが
ボトルメール的なアクションってのは……Twitterのほうが向いてるかも。
でも140字に収めきれない思いもあるわけだし
ある程度の長文として言いたいことも出てくることはしばしばある。

そもそも匿名でSNSに携わること自体が,ひとつの縛りであるように
思えてきてしまったんです。匿名でこっそり喋りたい物事なんだったら
そんなものは別に喋らなくてもいいんではないかと。
リアルの私とSNS上の私が乖離してしまいそうなことに疲れたみたいな
そんな感じに襲われていたりなんかします。で……身体反応?として
突然なにも書けなくなってしまった(笑)。

そんなわけで……ブログを「新装開店」することを考えはじめてます。
こちらを一時休業して……Twitterと連動した実名ブログを
近いうちに新装開店しようかと思っております。

www.smartstyle-blog.net

ちょうど……そんな心境ですかね(笑)。
短い間であったのですが,けっこういろんなことに気づけた。
一番驚いたのは,私は本当に友達少ないんですけど
飲みに行ったら——けっこう話題が探せたということ。ブログを書くときに考えたこととか,エントリには上げなかったけど考えたいくつかの物事とか……そうしたストックがとても役に立ったんですよね。

非公開ブログとして始めたのです。恐る恐る公開しはじめてみて
せいぜい1日数アクセスぐらいだったから,まあだいじょうぶだろうって
しばらく書いてたら……話題によっては数百アクセスぐらいになって
さすがに私の駄文が「読まれること」について考え込みはじめて……
そんな感じで今がきたというところです。

とりあえず今の雑感を書いておこうかと思ったので。

まだ「閉店」ではありません。もうしばらくは行き来すると思います ^^

ああ、通勤地獄……

つぶやき 社会

 

 ラッシュアワーの通勤電車の車内が極度に苦手なんです。金回りのいい身分なんかではありませんが、朝だけは特別車両券買って都心へ向かうことも少なくありません。帰りは空いているのでわざと各停乗って、座ってゆっくり帰宅することが多いです。ただ朝に関しては……各停でも相当混みます。ストレスを減らすために私には必要なことだと割り切っています。

 家内もおそらく特別車両券を買って仕事に向かう朝があるのだと思います。いつも体調悪そうにしていますからね。そんな家内から朝食どきに愚痴られました。
 つい最近、相席した人に不快な目に遭わされたんだ……と。
 恰幅のいい先客がすでに肘掛けを独占してしまっていたらしい。隣に座ったら……家内の脇腹にその肘が刺さって、でも隣の男は意に介することなく肘掛けを占領しつづけて……とても辛かったのだと。

 起きぬけにネガティブな話題を振られたものですから、つい遮るように「気にしなきゃいいじゃん」なんて言ってしまったのですが……実際、特急だってけっこう不快な目に遭ってしまうことがあります。指定券を持たないですでに座っている人に「すみません……」って声をかける——普通に立ち退いて下さる方はいいんですが、何だか私のほうが悪いことをしたかのように露骨にイヤな顔を向ける方がいます。あるいは前の席からあからさまにリクライニング倒してきて、すごーく窮屈なまま過ごさなければならないってこともあります。

 どんな種類の不快に出会った場合であっても……何が不快なのかを考えてみると、どうやら自尊心を傷つけられているような気分になってしまっているみたい。配慮をしない(配慮するに値しない)という自覚を前提にした確信犯であるかのように感じられて、そうしたものを呑み込まされるということに、どこか「はけ口」として利用されて(低く見られて)いるような不快感を覚える……とでも言えばいいんでしょうか。それにしても、家内も私もどうしてこんなストレス耐性が低いんだろう。そこは本当に似たもの同士だよなあ。

 

www.chunichi.co.jp

女性専用車両を廃止しろ」などと書かれた文とガソリンのような液体が入った容器が同封され、二日に東山線の全二十二駅や市交通局に郵送された。県警が威力業務妨害の疑いで捜査している。
女性専用車両は二〇〇二年九月に東山線で始まり、昨年七月には名城線名港線の平日朝の通勤時間帯にも導入された。

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  名古屋市を東西に横切る東山線というのは、東の終点付近に高校・大学を抱える20キロほどの路線です。沿線にはイケメンゴリラでおなじみの東山動物園もあります。名古屋〜栄の3駅間は、大阪でいえば「難波〜本町間」、京都でいえば「京都〜四条間」みたいな感じで、私鉄のターミナルとオフィス街とを結ぶ性格を持っています。

 ラッシュアワーは2〜3分おきに電車が来るとはいえ、朝のこの区間はどうしようもないほど混んでいます。近くの人と密着状態になるのはきわめて不快ですし、こっそり屁をすかす人でもいたものなら……想像しただけでも不快なことです(東山線に限らずどこでも遭遇しますが、ツラいんですよね、あれ)。

 これほどスマートな社会になってもなお、通勤車内の不快さが置き去りにされてきたところがあります。ただ……会社勤めをこなすことは、そうしたことを受容することでもあるってのが一般的な考えだったりもします。痴漢やスリ……そんなものは受容(泣き寝入り)なんかしちゃいけません。が、鼻先にオヤジの頭皮が来ることもあれば、ポジション取りが強引すぎる若い女性の胸元あたりに空間作って差しあげねばならないこともある……相当な労苦であります。わずか数分といえ、戦争みたいなものです。

 鉄道会社はラッシュ緩和にもっと努力を——と言いたいところもあるけれど、やはり収益面に関するところもあるでしょうから、両数を増やすとかも難しいでしょうね。そんな中にあって「女性専用車」の設置は、女性にも男性にも有益な方法だとは思っているんですが……何せ女性専用車は1両で、専用車以外も女性がかなり乗ってくる。女性側のリスク回避の選択は与えられているのに、男性側にリスク回避の選択が与えられていないってことなのでしょうね。脅迫文を送らずにいられなくなったその人、痴漢冤罪にでも巻き込まれたのでしょうか?

 彼の主張する「廃止」って方策は——犯人が痴漢冤罪に関わりのある人だとすれば、何の解決にもならないと思うのだけれど。痴漢でおいしい(のか?)思いをしたい身勝手な人間が言っていることなのだか。あるいは女性を蔑視しているお年寄りあたりが、愉快犯的に「世直し」と称して言ってる戯れ言なのだか。あるいは単に、特に主張もなく頭の悪いだけの人がやらかしたことなのだか。

 どっちにせよガソリンのような液体を同封して、物事を主張してはいけません。きわめて卑怯な方法です。話し合いをはじめから前提しない恫喝——まさにそれと同じです。まあそれ以前に「犯罪」ですからねえ。

不用意にメアドを変えて困ってしまったこと

失敗談 生活の知識 覚え書き

 

 ずいぶん長い間使いつづけていたメールアドレスを、夏ごろに変更してから半年以上経っています。ジャンクメールが洒落にならないほど届くようになってしまっていたのですが、メアド変えたおかげで現在のメーラーの中身はだいぶすっきりしています。

 そんな中……ちょっと面倒なことに遭遇してしまいました。

 うっかり住宅ローン口座への入金を忘れてしまってたのです。もう一〇年ほどになるんですが……不覚にも留守中に督促の電話を受けたみたいです。1日過ぎただけで来るんですね(まあ信用に関わることだから当たり前か)。電話着信が夕方の5時半頃だったらしく、電話番号をためしに検索してみたらどうやらその銀行だったので、そこで……「あっ、しまった!」と気がついて。慌てて近くのコンビニに飛び込んだけど、もう引き落としは翌日以降だろうな。手数料かかる上におそらく延滞についても利息が付くはずだから……この「うっかり」は精神衛生的にも経済的にも実によろしくありません。月末にリマインダーを設定することにしました。

 で、それはそれで事なきを得たわけですが、引き落し状況を確かめたくなって銀行のネットバンキングにログインした。そこまではいいんですが……いろんなやりとりに最近は「ワンタイムパスワード」ってのが必要らしい。いつの間にか手元にある乱数表では対応できなくなってしまっていたんですね。じゃあ設定しようかって思ったとき……やばいことに気づいてしまいました。ネットバンキング上に登録したメールアドレスってのがまさに、昨夏に変えてしまっていたそれだったのです。やっちまいました。必要なサイトに入れない (T_T)

 チャットで問合せができるというので試してみました。パソ通の時代のチャットってタイピングの遅い私には敷居の高すぎる、こわ〜いものでしかなかったのだけれど……あれれ、いつの間にか全くストレスなど感じないものになってました(笑)。お相手をして下さった方も的確なアドバイスをくれましたし。まあ結局はフリーダイヤルに問い合わせることになったのですが……チャット担当の方、おつかれさまです。ふだんLINEなんかも使いこなしてるわけですから、今や誰しも余裕ですよね。

 サポート系のフリーダイヤルは大抵待たされます。大昔に親父のPCのことでマイクロソフトのサポートに問い合わせたときは大変でした。あとは、これまた大昔に(それこそwindows95ぐらいの時代?)何となく買った携帯とPCの連携ソフト(コード付き)が上手くいかず製造元に問い合わせたとき、フリーダイヤルではない上に、まったく要領を得ない説明に苦しめられた揚げ句、こっちがクレーマーみたいにされかけて(まあそれは多分私の被害妄想)本当にウンザリしてしまったのが忘れられない。

 今日は実にスムーズでした。要するにアドレス変更のせいで、手続きのためのメッセージが受け取れない状況になっているだけですから、私の身元が確認できれば良いわけです。結局は電話でやりとりしながら、私が「乱数表で登録情報変更できるように」向こう側のロックを一時的に解除してくれたわけです。プッシュホンのプッシュ音で暗証番号を認証させるってやり方がいかにも昔っぽくて。思えばネット通信さえ、むかしはモデムを経由した音声信号でしたものね。本人確認ばかりは郵送による文書でやるか、さもなくばこういう方法をとるしか仕方ないわけです。まあ一件落着。

 ともあれ……やはり電話越しのオペレーターさんが一番頼りになることには違いない。だけどPC関連は、訊ねる側も問われる側もストレス大きいですね。オペレーターさんも大変。ツールを使いこなせない人としょっちゅう喧嘩になったりするのでは? 普段PCを使いこなしてるつもりの私でも、ときどき「ムズカシイ」状況に遭遇することがありますから。

 

お悩み中、フリーズ中。。。

日記

 

 妹さんの旦那さんのお母様が亡くなりました。

 妹さんからではなく、父親から昨日連絡を受けました。彼らは比較的近くに住んでいるものの、私だけがそれなりの遠方。何より連絡を受けた当夜がお通夜で、式は翌朝早々で家族葬だと。まずは電報打ったんです。朝9時だったら間に合わせるには当日中でやるしかない。結局その日のうちに斎場に電報がついたらしく、妹さんからメールで連絡受けました。

 でも何か落ち着かなくて。今日、とりあえず必要な仕事を済ませたあたりで……なんか急に弔問をしたくなってしまい、完全に「思いつき」の域を脱しないのだけど。第一仕事のあとの思いつきだから喪服ですらないのだけど向かっちゃったんですよね。平服のままなのに。で、新幹線を降りた大阪でまさにフリーズ中。式当日の弔問ってやはり変だろうか。ふたりは今日一日、それこそバタバタしまくって疲れ果てているかもしれない。

 闘病生活長かったんですよね。義理の弟さん(と言っても私より年上)ひとり息子なもので、二人ともがしょっちゅう入院先に顔出したりしてたみたいで……本当に頑張っておられました。もし本当にスモールサイズの「家族葬」ってのなら、親戚関係とかの対応もひと通り終えて(自分たちの親世代におそらく家族葬への理解がなかったら、本当にイヤな気分にでもさせられただろうし)お疲れでなければ、日本酒でも手土産に訪れてお二人の労をねぎらいたい気分になってしまったのですが……西に向かうにつれて、オレ非常識かもしれないって徐々にクールダウンしてしまいながら新大阪に着いて、幾分(かなり?)落ちた気分でひとまず妹さんにメール打ったあと、喫茶店で返事待ちしている現時点。ああ、情けない。。。夕食どきになって返事なかったらそのまま引き返そうと思っております。普段しないようなことをやらかすからだ orz

 やっぱり……メールの返信はなかなか来ません。返信あれば電話って流れを期待したのだけど、ちょっと無理かなあ。仕方ないです。

 うちの両親こそが元来、こういう場に土足でズケズケ入っていってしまう種類の生き物です(今日はどうだったのだろう?)。おそらく私の脳にも彼らから引き継いだDNAが居座っていて、「親切心であるかのように装ったお節介を押し売りして相手の首を絞める」プログラムが発動して、私自身をソワソワ・イライラさせていたりなんかする。まさに以前エントリした「善女のパン」的なオセッカイです。こういう状況下での「メタ認知」ってヤツは容赦無く自己嫌悪の底なし沼へと私自身を蹴落とそうとするのです。もう夕食どきに差し掛かってきました。もう夕食終わってるかもな……弔問だけしてとって返す手はあるでしょうけど、あまり疲れさせてしまってはだめだもんね。

【追記】あのあと連絡ついて,弔問にお伺いすることができました。けっこう色んな気づきがあったのですが……こればかりはブログのために起こしたアクションではないんで,私自身の胸ん中にしまっておきたいと思います。

ヘルスメーターの「体内年齢」って何??

生活の知識 つぶやき

 

 仕事のため昨夜からビジネスホテルのシングルルームで過ごしております。昨夜はひとりでビール飲んで,まだ足りなくなって一度エレベータで階下におりて自販で買って……結局そのまま朝を迎えておりました。ふだんエアコン入れっぱなしで寝てしまうことはないので,目覚めたときに風邪ひいたかもって思ってドキッとしました。ちょっと喉がイガイガしている(頭痛いのはまちがいなくプチ宿酔いのせいです)。

 ところで……ホテルというところは部屋のどこもかしこも鏡がいっぱいあるものだから,どんなに気が進まなくても自分の裸体と直面しなければならなかったりします(笑)。顔こそ実年齢より若く見られることが多いですが,いざ全裸姿をあちらこちらの鏡で見ると——やはり気恥ずかしいものです。とりわけお腹には容赦なく皮下脂肪がたまってしまっていたりしますから(ヘルスメーターの言うことにゃ,内臓脂肪の状況もよろしくない)。ああ,そういえば……昨夜実際された「R−1ぐらんぷり」で優勝されたというニュースで目にした「アキラ100%」さん。テレビ画面を通して見たときのビジュアル(優勝時のインタビュー場面)も突き抜けてましたね。実年齢よりも若く見えるそこそこのイケメンでも——あれほどに華やかな舞台をバックにしてお盆持ってる全裸姿はどう見ても滑稽でしかない。そんな状況の下で彼が実に神妙な顔をしていろいろ真面目に答えている。あの滑稽さって——ま,それが裸芸人の狙いでもあるのでしょうが。

 

 ユニットバスの湯船に浸かりながら……日曜日に家内と一緒に買ってきたヘルスメーターのことをちょっと考えておりました。そういえば測定項目の中に,体内年齢という項目がありました。私は実年齢よりも若く出て機嫌よくさせてもらったのだけど,実年齢よりも少なからず上の数字を見てしまった家内がかなりショック受けておりましてね。あのときは私も思慮が足りなかったような……そりゃあショックですよね。家内は何かと「体調が悪い」系の愚痴が多いもので,私もけっこうイラッとさせられてしまうこと少なくないんですが……あの数字が指してることが妙に気になりはじめていたのです。「ああ,『体調が大変』っていうは本当なんだなあ」とか。

 どうも腑に落ちない。それが何なのかよく分からないまま「あなたの体内は◯◯歳ですよ」って言われてそのままショック受けてるってのも精神衛生上よろしくない。せっかく買ったヘルスメーターなのに,憂鬱になって「二度と乗りたくない」なんて気分になってたらもったいないですものね。そういうわけで,ちょっとリサーチしてみることにしました。タニタさんの運営している「からだカルテ」というHPを探し当てました。

ここに注目!体組成計の「測定項目」 : タニタ運営[からだカルテ]

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体組成計に乗って一番ショックだったのは「体内年齢が実年齢よりも上に出たこと」というご意見をお聞きしたことがありますが、逆もしかりで、実年齢より体内年齢が若くでるとなんだか嬉しいものではないでしょうか? 体内年齢とは、

基礎代謝の年齢傾向
タニタ独自の研究による、体組成の年齢傾向

の2つの傾向から、測定した体組成が「どの年齢の体組成と近いか」を表現したものです。わかりやすく言うと体組成は、一般的に歳をとるにつれ筋肉量と基礎代謝が低下する傾向にあるので「筋肉量が多く」「基礎代謝が高い」ほど、体内年齢は若くなります。

(上記ホームページ「からだカルテ」の体内年齢の項から引用)

  ああ,なあんだ。乱暴に言ってしまえば,筋肉量と基礎代謝から得た体組成の数値をただ(おそらく統計的な)年齢傾向にあてはめて割り出してるだけなんですね。帰ったら家内に教えてあげないとね。あまり間に受けて憂鬱になりすぎていたとしたら,本当に気の毒で……。

 じゃあ,こうした数字はどうすれば「対策」できるんだろう? 体内年齢が「こうですよ」ではなく,じゃあどうすればいいのか……の方がずっと大事ですものね。大昔に大病を患って入院したこともあるものですから,いざ運動をって言われても無理が利かないところがあったりもする。だから「筋肉量」のほうは,おそらく大きな病気をしたことが原因なのだと思います。

 また,基礎代謝のほうもきっと運動不足のせいですね。とりわけこの時期は,花粉症が相当つらいみたいで外に出たがらない。だったら,スポーツクラブにでも入れてあげたほうがいいんかなあ。金銭管理とかで何かと口うるさいことが多い私だったりしますから。「分不相応」ってコトバをよく持ちだしてしまうんだけど,やはりもっと稼がなきゃならんのかなあ。というわけで,ちょっとばかり根深そう?なこの問題は,朝の「すき間時間」だけでは答えを出すのに限界ありそうですので宿題にさせてくださいな。場合によってはタニタさんに質問してみたりしようかな,とも考えております。あ,苦情とか文句ではないですからね,念のため(笑)。むしろ楽しいものだと思っています。それが何なのかが分かった上で「体内年齢」の数字に対してプラスになる方向性で楽しめるのなら,こういう遊び心のある物事ってのはとても楽しい。何か役に立ちそうな結果がわかりましたら,取りまとめてこの場でもお知らせしようと思います。

私は「気分」でしょうか?

覚え書き 社会

 

 気分の見解をすべて私の見解として引き受けることに合点がいくでしょうか? 狂気を帯びた発問のように思えますか?……まったくそんなことは無いんじゃないかなあ。自分が気分だとすれば,社会の中でその人は大変な軋轢を生み出してばかりだと思います。

 だって気分というのは,まるで子供みたいですもの。40超えたオッサンになり果てた今,心底そう感じます。ふさわしくないタイミングで「疲れた」とか「眠い」とか呟き,ときには視界に入るものに対して汚い語彙で毒づいたりする。その一方で,何かいいことがあったり褒められたときは健気に「頑張る」って言ってみたり,美味しいものを食べているときには「幸せ」って呟いていたり。本当にどうしようもないヤツだけど,どこか憎めないヤツ……理性のほうは歳を重ねるごとに社会へ順応してきたに違いないんだけど,気分のほうはまさに子供のころから何ひとつ変わらずここにある。

 こいつこそが「魂」と呼んでしまうべきものなんだろうな——と,私はそう思っていたりなんかするのです。あえて読み返さずに書きますが,だいぶ前に夢中で読んでいた池田晶子さんあたりがそういうことを述べていたように思うんです(違うかもしれませんがご勘弁を)。400年ほどのむかし,「我思う,ゆえに我あり」(情念論)と述べたデカルトは,心が自由意志をもち身体が機械的運動をする独立した実体であることを主張した——哲学がいうところの心脳問題っていうのが何を論点にしているのかといったところが,学問としての哲学に触れた経験をもたない私にとってはいまだにピンとこないところなんです(苦笑)……私の薄々感じているそれというのはそこまで壮大な話(もしくは単純化されすぎた話?)なんかではないように思います。

 心理学は気分を取り扱い,哲学は理性を取り扱う——という線引きもいまひとつピンときません。だってデカルトの言い分が気分を放棄しているってところまでを論点にしているようになんか思えないので。

「この容疑者に殺意はあったのか?」などと言うとき,この容疑者は必要な理性を持ち合わせていたのかという物事をマスコミは論点にしてるのだろうけれど,どう考えたってその容疑者は気分に動かされて犯罪を犯したに違いない。かといって,気分を抱く段階が罰せられるべきことであるはずがない。だって無理だろ(笑)。自分という個体を護る本能にあたる何物かが気分なのでしょうから,それが無いってことは,自分という個体の存続よりも,理性という幻のほうに身を捧げるって意味になってしまう。おそらく,そんな状態こそが「自己評価が低い」状態なんだろうなって思うわけです。

 その「自己評価の低い」状態はまさにその人自身にとっては非常事態なのですが,社会的にいえばむしろ「望ましい」状態ってことにしてしまっていたりする。自信ってヤツに無理矢理実体を与えようとするとき,自分と社会との間でポジショントークで折り合いつけながらやっているのが我々。そんなわけで……あまり正直者になりすぎるとバカを見るんじゃないかなと。これからは……もっと不真面目に生きてみたいなって,ちょっぴりそんなことを思うわけです。<気分>が<自分>だと思い込んでしまったとき,きっと不幸なことを起こしたり起こされたりするもので。

 最近の「キレる老人」というのが,まさにそういう状態を意味しているように思えてなりません。もちろん,加齢にともなう脳機能の低下という要素を加味して眺めないことにはアンフェアでしょうから,そこは反省しておきたいと思います。要するに……その人の魂が「キレている」ことを客観的に理解できそうな気がしなくもないんです。お年寄りに(私の)気分のレベルで嫌悪感を抱かされることが少なくないその一方で,(彼の)気分に対して何か情状を酌量しなければ割に合わないだろうなという一面も同時に感じるんです。自分だっていつかはそういう加齢した脳を,肉体として引き受けなければならないのです。

これほど気持ちいい晴天なのに,気分が晴れなかった些細な理由

日記

 

 可燃ゴミを2袋下げてエレベーターに乗った。途中階で,幼稚園の女児を連れた男が乗ってきて,私と不愛想な挨拶を交わした。男は可燃ゴミひと袋手に下げていた。女児も無言,男も私も無言……エレベーターはすぐさま1階に着いた。先にエントランスに出た私は彼等のために玄関の扉を支え,女児も男も無表情で私の前を通り抜けていった。先に置かれた男のゴミ袋と,ちょうど対角線の向こう側になるその位置に私はゴミ袋を置いた。

 よくわからないんだけど……なんでこんなに苛立ってるんだ,オレ? 歩いても歩いても「もやもや」が晴れないのだ。今日は雲ひとつない快晴で,空気も気持ちよく澄んでいる。電車で2駅ほどの距離を早足で歩いていると,体のほうはとても心地よくてうっすらと汗が滲みはじめてるのが分かる。

 今朝はじめて全裸で乗ってみた新品のヘルスメーターは,私の体内年齢が40歳だと告げた……それがホントならまだけっこう長いこと人生が続くらしい。それにしても気がかりだったのは,同じヘルスメーターが告げた家内の体内年齢。見た目若いんだけど,あの人。確かにいろいろあるんだけど,私のような変人にとってはかけがえのない「飼い主」である。飼い主さんに先立たれたら……やめよう,そんなのはイヤだ。先にこと切れるのは私であってほしい。ヘルスメーターよ,どうかあれはウソだよーんって言ってくれ……

 でも,どうしてあの男——もとい,あの人の何に腹が立ったのかなあ? 

 で,そのうち,どうやらあの人だけが腹立たしかったわけではないらしいことが分かってきた。通りすがりの萎び切った老夫婦,乗った電車の正面に座る小汚い老人,入った喫茶店での耳障りな老婆同士の会話(どれもこれも乱暴な言葉遣いですみません)……視界やテリトリーに入ってくるものにことごとく心の中で噛みついてしまう,この状態は何だ? オレ,とうとう気が狂っちまったのか? こんなすっきりした青空の朝だというのに,どうして——このところ一段とひどくなってきた飛蚊症の目をこすりながらもう一度澄み渡った青空を見上げた。

 体はこれほどにすっきりしてるってのに,魂がしくじってるのか?

 何か悪い夢でも見てしまっただろうか…………

 

 

 あれっ? 

 

 そういや今日って,4時間弱しか寝てないじゃん。ああ,3時過ぎまで眠れなかったもんなあ(笑)。

 ははは。結局そういうことでしかないんですね。眠りって大事です。

 今日は仕事までに時間があるので,ネットカフェのブースで少し仮眠でも取りましょうかね。

「情報」としての本,「モノ」としての本

読書 気づき バリかた

 

 土曜日に何げなく衝動買いしてしまったのが,この本。

 

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 最近はKOBOで電子書籍を買う機会が劇的に増えています。この1〜2ヶ月に限っていえば,1週間に2冊ぐらいのペースで買ったような気がします。でも……電子書籍書物を買うってのは,意味だけが抽出された文章(文字情報)を割り切った形で買っているということではあるんですよね。音楽でいえば,譜面を忠実に再現したMIDI(SMF)ファイルを買っているようなものかな(デスクトップ・ミュージック寄りの専門的なコトバを持ちだしてごめんなさいです)。それこそ1990年台〜2000年アタマに一瞬だけ幅利かせてたMIDIファイルってのは,ファイルサイズが軽量であることがメリットで,再生能力ってのはすべてそれを再生する音源によって決まっていたところがあります。結局,楽譜を忠実に再現しているという意味ではあれは音楽ってより「楽譜情報」でしかなかったんですよね。青空文庫のテキストデータをPCで読む最も簡単な方法はおそらくエディタソフトで閲覧することだけど,それは情報として意味を忠実に再現してくれることに徹したデータ(信号)をただ情報として受け取ることに等しいかと。

 MIDI(音楽)ならソフトシンセ(アプリケーション化されたシンセサイザー)を使って演奏することもできるだろうし,データをいじれる人であれば旋律ごとの音色を変えたり,一部のパートをミュート(消音)してデータを再生することができる。電子書籍に例えるならそれはひとつの書物を,明朝体にしてみたりゴシックにしてみたりすること,あるいは1行あたりにおさまるセンテンスの文字数をコントロールしてみたり,行間の空白をコントロールしてみたり,背景を白やセピアや黒にしてみるようなことなのでしょうね。KOBOもKINDLEもそのあたりはとても使いやすく出来ている。MACでいえば……かなり見当外れなことを言っているような気もするんだけど,LOGIC(ソフト音源を搭載したDTM専用ソフト)の使い勝手が劇的に良くなったから,MIDI音楽がリアルに聴けるってのと似たような物事かも知れません。まあMIDIをあえてLOGICで聴きたいなんて積極的に考えた人なんていないはずなんですけどね(笑)。データの軽量化で喜んだのは,初期の携帯の着メロユーザーとカラオケ関係者だけだと思うのです。

 話が横道に行っちゃったんで,また書物のほうに戻ってみます。

 紙の本をあえて買うことの意味って何だろう?

 たとえば今回買ってみたこの書籍を手に取ってみたら……まず表紙カバーのデザインと白さが目を引いた。あ,ハードカバー本の背の丸みって意外と美しい。この紙の触感ってまったく不快感がない。紙面が机上のLEDの光を反射する,その具合ってのが意外と読み心地に関係してる。表紙の純白とは逆に,文面に使われてる紙って真っ白なんかでない……「紙自体の色合い」ってのがちゃんとあるんですね。つまり,本って(情報媒体であることと並立,あるいは独立して)ちゃんと「モノ」として完成され洗練されうるモノだったってことです。

 で,とりわけフォント(書体)ってのが,読み手の印象を大きく左右します。この本でも特に強く主張されています。

「例えば,文字はよく声に喩えられるんです。僕らが言葉を誰かに伝えるための最もポピュラーな選択肢は,声か文字しかありません。ニュースを伝えるアナウンサーの声が重要であるように,書体は声なんですね。そこには明るい声もあれば,威厳のある声もある」
(「本をつくる」という仕事(稲泉連 筑摩書房2017.1)P.12 より引用)

 この本で私が真っ先に打ち抜かれた箇所は ↑ これなんです。

 どんな字体でどのぐらいの行幅でその本を読むか……前述したとおり,電子書籍ってそれさえ読者の側が選べてしまうんですよね。そこへフォントが「語り手の声色みたいなもの」って言われてハッとしたんです。確かにそうなんだ。書き手であるその人は,ゴシック体のような音圧のやや強い声色で語ったかも知れないし,明朝体のように繊細に囁いたかも知れない(章ごとにフォントが変わる小説とかってのは見たことがないけれど……そういうのも面白いアイデアかも知れませんよね)。で,ゴシックと呼ばれるフォントも様々,明朝体も然り。あるいは筆文字のように威厳を匂わせて語りたかったかも知れないし,丸文字のように気さくに話しかけたかったかも知れない。

 そういうわけで冒頭に書いたとおり,電子書籍データを買うというのが音楽でいえば「譜面を買った」ことに近いことなのかな——と思ってしまったのです。音楽についてMIDIを内臓音源に演奏させたものと,音声として収録された演奏が等価だなんて誰も言いませんものね。そんな感じで,電子書籍を買った私は何か紙本にあったはずの「生演奏感」を放棄してしまったのではないだろうか,と(笑)。iTunesでダウンロード購入した音楽(つまり音声ファイル)を例えるなら……それは裁断されスキャナで電子化された書籍(つまり画像ファイル)相当ってことにでもなるんでしょうか。だとしたら電子書籍を買うことよりは,まだ少しだけ放棄してしまったものが少ないってことなんだろうか。もちろん情報の本体が,一方が(聴覚を経由した)感覚,他方が(視覚を経由した)意味であるという大きな違いがあるわけですから,こういう論じ方で話を取り仕切ろうと試みている私のやっていること自体がただただ愚かでしかないのですが(苦笑)——とてもカオスでも,それでいて予想外に深いテーマになり得そうではあります。

 

 当初,私がこの本を買おうと思ったときに論点にしたかったのはむしろ,昔ながらの工程(活版印刷の写植,そして校閲)の部分だったのですが……著者の稲泉さんに誘われるままに読みすすめていくにつけ,むしろ私がさして重要視していなかった「紙選び」「装幀」のお話がものすごく気になりはじめてしまったのです。モノとしての本がこれほどにも「こだわり抜かれている」ってことを見失いそうになっておりました。

 「モノ」としての本って,美しいものだったんですね……。

 ひょっとすると,ハードカバー本で写真集なんか作れたりなんかして。。。私には残念ながらそんな写真撮影のセンスはなさそうですが。

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 なんか……とてもでないが,電子化のための裁断なんてできそうになくなってきた。そもそも昔から,買ったばかりの新本なんてなかなか裁断する度胸持てません(笑)。

 

 iPadが登場してスキャナーを購入し,書物を刃物でバラすということ——それは愚行だったのだろうか? 書籍がけっこうな置き場所を取ってしまうので,ある意味,定期的に淘汰せざるを得なかったというのがあったりはします。で,もうひとつ自己弁護させて頂くならば,文字情報に割り切った廉価な媒体ってのは実は大昔から存在していた——その名は文庫本。文庫本というのは,ハードカバー本から個性をすっかり排除した,画一的なスタイルを持っている。同じフォント・同じ文字サイズ・同じ紙質・同じ装幀・同じサイズ……それでいて廉価。そう考えるにつけ,

 ◯ 生演奏       = 著者の講演
 ◯ C D       = ハードカバー本
 ◯ MP3       = 文庫化された書籍
 ◯ SMF(MIDI) = 電子書籍

 類似性からみた関係はこんな感じになるんでしょうかね(笑)。

 ここまで書いて,もはや「書評」なんかではなくなってしまってるのだけど……将来の音楽も書籍もどうなるんだろう? アーティストのCDがちゃんと売れていき,ハードカバー本もちゃんと売れていく……というのが幸せなあり方なんでしょうね。CDアーティストにとって音楽自体もさることながら,歌詞カードやジャケットもひとつの(枠組の中に収められてはいるのだけど)表現手段であり作品であったわけで,音声だけが記録されたデジタル信号だけを切り売りすることは本意ではなかったでしょう。また買い手である我々にしても,コンパクトなプラスティックケースではあるけれど,「モノ」を所有することの喜びというのは合理化し切れない物事だったのではないかなあ(それこそLPレコードぐらいのサイズを伴わなければ,形あるものを所有する喜びが昇華されきれないような感じもしなくはない。むかしは「ジャケ買い」——音楽を聴いてもいないけどジャケットを見てLPを買う——なんてコトバもありましたし)?

 紙ざわりがこんなに愛しいものだったとは。紙から眼に届く反射光がこんなに愛しいものだったとは。ハードカバー本のフォルムがこんなに愛しいものだったとは(こんな風に書いてしまうと,何かすごく薄っぺらくなってしまう私のボキャブラリーの貧困さが悲しいのだけどね)。何か迂闊だったなあ,と。

 私の書いていることがあまりにも意味不明でごめんなさいですけれど,紙書籍ってものへのリスペクトが甦る1冊であることに違いありません。本当にいろんな方々に読んでみていただきたいです。電子書籍派の方には特に……改心なんかではなくて「経験」としてこの視点に触れてみるとほんと新鮮で面白いです ^^ 。

同志も敵も同じぐらいいるみたい

つぶやき 日記

 

 ふらりと入った書店で本を「衝動買い」することが,最近の趣味になりつつあります。

 家内が朝の9時をすぎても布団の中でグズグズしているので,私はさっと風呂に入り身支度をすませて外へ出ることにしました。置いてけぼりにして悪いけど。1時間弱ほどウォーキングしたあと,その足でショッピングモールに入りました。都心をはずれた小さなモールですので,土曜のこの時間ですがフードコートに少しぐらい長居しても迷惑でなさそうです。

 さっき本を1冊買ってきたばかりです。本を買って2つあるレジに並んだとき,ちょうど横のオニイサンが「お願いします」って言って店員さんに本を差し出しておられました。作業着風の服装だったので,仕事が終えた後かあるいはこれから仕事なのかも知れません。

 体調を崩していたこの1年ほど,物を買う側の立場であってもちゃんと「声を出してみる」ってことを少しだけ意識してきました。うまくできるときも,そうでないときもあるんですが。それこそコンビニでもスーパーでも無言で物が買えてしまうわけですが,何だか「人間らしさ」からどんどん乖離していくような感じをひどく窮屈に感じていたのです。

 私自身,挨拶ってのが極度に苦手です。特に会社の中ではなかなか上手くできない。入ってくるときに声出すと,どうも取って付けたような感じになってしまうみたいで。逆に小声とか会釈とかで済ませたことを根に持って,「ちゃんと挨拶できる人を採用してね」なんてこれ見よがしに言うバカ上司もおりましたっけ(そのくせちゃんと挨拶したときは,すごく面倒そうな返しなんだよな。単に嫌われてただけだと思う)。会社って場所は実に不思議な場所で,実際,挨拶なしに入ってくるような人のほうが私なんかより数段うまくやっているふうにさえ見えましたね。そこんところは本当に難しいんですが……そのうち挨拶ってのをテーマに何か書いてみようと思っています。

 そんなこんなで——レジで「客として」お願いと感謝を声にしてちゃんと出せる人へ,私はリスペクトをもって眺めております。小心者の私自身もできる限りそうするように努力しております。もちろん強制することでもされる事なんかではなく,単に私が安心感を覚えることができる……それだけのことなんですが。

 で,本を買い終えてレジを離れた。すぐさま目の前を,小走りの幼児に続いて若い母親が横切ってきました。で,横切りざまに「ちっ!」と舌打ちされてしまいました——お互いの歩行の進路なんてことは,本当は両成敗のはずなんですけどね。他人様の舌打ちからは一瞬にして,憂鬱を受け取ってしまいます。ああ……。

 どうやらこの世では,同志も敵も同じぐらいの割合で遭遇するみたいです。

 

ゴミ集積所

かなしいこと ぼやき

 

 10時半ごろのこと。ベランダから集積所を見下ろしてみたら……まだゴミ袋が回収されずに残っている。あ,これはまだ間に合うかも知れない! 一瞬そう考えて外に出る準備をはじめようとしたのですが……やはり途中でやめてしまいました。慌ててやったことが時々,ろくでもない結果を招いてしまう。そういう考え方が板についてしまっています。なるべく衝動的に行動しないようにしています。

 集積所にゴミを出すことが長いこと苦手でした。いまだにそうかも知れませんが……最近はもう普通に出せるようにはなっています。とりわけ断捨離が捗ったいまは,集積所にゴミを出すことを意図的に先送りすることはなくなりました。

 

① 集積所で回収の方と鉢合わせる可能性

 本当に「人から怒られる」の苦手なんですよ(苦笑)。思えば実家の母親なんかは,回収車と居合わせても「ああ,よかった。間に合った……」なんて言いながら,朝の9時とか10時とかに平気で集積所まで息切らせながら1往復してたような気がします。まあ回収の方もおそらくは「袋に書いてあるだろ,時間どおり出せよ!」なんて恫喝したりなんかは,まあ滅多なことではなさらないとは思うのですが。

② エレベーターで降りている間に回収し終えてしまう可能性

 これ……たぶんさほどショックは感じないと思うんです。持ちだしたゴミ袋をぶら下げ,少しだけorz感を醸し出しながら自宅に戻ればいいだけのことですから。うちの集積所にも何人かマナーのよろしくない人がいるようで,ゴミ袋が夕方になってもそのままになってることは度々なんですが——私にはそれをやる度胸(?)はありません。

③ ゴミ持って降りているときに近所の人と出くわす可能性

 たぶん……私にはこれが一番ストレスフルなこと。実は苦手なのは「怒られること」ってより,むしろ「気まずさ」のほうなのかも知れません。そういう風になったとしても,心の中で「ああこの人,こんな時間にゴミ出そうとしてるよ」みたいに思われて終わりでしょうけどね。たいていの場合は黙っててくれるものと思われます。若い人なら案外,むしろ「間に合って良かったですね」あるいは「残念でしたね」って笑ってくださる方も見えると思うのですが(笑)。


 ゴミ出しに関しては,いまだにトラウマになっている出来事があるんですわ。
 
 もう15年ぐらい前ですかね。まだ独身でワンルームロフトつきのアパートに住んでいた頃なんですが……いつもどおり朝の7時ごろに集積所にゴミを出しに行ったら,いきなりオバサン(というかオバアサンというか)に恫喝されたんです。
「あんた,何ここにゴミ出しとんの!!」
 あまりにもびっくりしたんです。だって,アパートのすぐ正面にある集積所ですよ?! 咄嗟には何も言えなかったと思うのですが,あまりにも理不尽ですからたぶん「何で?」ぐらいのコトバは発したと思います。
「あんたあのアパートだろ。だったら,ここにゴミ出すなっての!」
——どうやらアパート横の階段下にある,もうすっかり風化してぼろぼろになったボックスが住人所定のゴミ捨て場らしい。でも……入居時にも不動産屋さんでそんな話なんかされたことがない。第一あんなボロボロになったボックス,誰も使っている形跡がなくて,おそらくアパートの管理人もあんなもの放置しているに違いない。

 それにしても「私が」そんな風に怒鳴られる筋合いはないんです。でも……そういう恫喝のされ方したときは,大抵何も言えないことが多いです。さもなければ,昨年末(このブログを開始したときに遭遇したジイサンとの喧嘩——たぶん初期のエントリーに書いてます)みたいに私が半ばパニックを起こして,街中なのに怒鳴り合いの喧嘩になるかです。いずれにしてもそのときは頭の中が怒りで渦巻いたまま,ゴミ袋をぶら下げて部屋に帰ったと思います。

 私がそれなりに「賢かった」ならば,あのクソババア(失礼!)がいなくなったタイミングを見計らってゴミを出しに行って忘れてしまえば良かったんですが……腹の虫がおさまらなくて,おそらく9時をすぎたすぐあたりに市役所に電話をかけました。役所の人いわく「まあ集積所って地域の管理組合が仕切っているからねえ」と電話口で苦笑された(笑うなよって!)。貴方が管理組合さがして組合長に挨拶に行って清掃の当番引き受けるとか,そういった方法があるかも知れませんよぉ——みたいなことをひととおり言われたあと,忙しいからってすぐに電話切られたような覚えがあります。その時点でもう管理会社に電話する気力さえ失せてしまって——まああれからすぐ引っ越しました,もうやってらんないと思ったので……あれいまだにトラウマなんですよね。書いているだけでもいまだに激しい怒りがこみ上げてくるぐらいで。もう遠い昔の話なのにね(笑)。

 そんなわけで——ゴミを集積所に出すことに対しては,何か「後ろめたい気分」ってのをぶら下げてしまう心のクセとずいぶん長いこと付き合わされました。ゴミの分別方法を間違えてしまってないかとか,近所の人に袋開けられてチェックされやしないかとか,ゴミ出しの時間がふさわしくないとかって恫喝されないかとか……前述したとおり最近はもう全然大丈夫なんですけどね。その手のトラブルにはあれからは一度も遭遇したことはないですし。

 でも一人暮らしのアパートってのは,ゴミに限らず本当いろいろありました。中古マンション買うまでに4回ほど独居のアパート暮らしをしています。が……トラブルがなかったのは大学時代に住んでいたアパートだけでした(住んでいるのは同じ大学の学生ばかりでしたし)。騒音問題とかならまあ「さもありなん」って感じぐらいでしかないのですが……郵便受けの封筒を開けられてたときなんか相当びっくりしました。ポストから少しはみ出してしまうA4サイズの封筒の差出元に興味持たれてしまったんでしょうけど……。あと,通帳すらろくに管理できないアパートの管理人から「家賃を3ヶ月滞納している」ことにされてしまった(ちゃんと払っていました。向こうが見落としていただけでした。証拠になる振込記録を突きつけたら,自分のほうでも入金を確かめられたらしく,笑って流されてしまいました)のもびっくりしました……。そうやって考えると,結構いろいろひどい目に遭ってるなあ。よく生き延びてこれました(笑)。

 生きるにはほんと逞しさが必要です。

 

「死にたくなったときに読め」というあの漫画がすごくわかりやすかった

覚え書き 教育 社会

 

shinya-sheep.hatenablog.com

 

 いやあ……恐れ入りました。

 イジメに関しては最近,私自身も個人的に思うところをたびたびエントリーさせていただいていますが……あまりにも明快で。私がコトバを足す必要なんて何ひとつ感じない。子供のイジメに関しては「運次第」って言い切ってしまうぐらいでいいと思ってます。「自分を責めなくてもいい」——冒頭から最後まで,全面的に賛同します。

 

 このテーマと関連することについて,私の考えは過去に幾つかのエントリーで上げています。極論になりすぎているものもあるかも知れませんが……もしお時間がよろしければお読みいただければ嬉しいです(以下はリンクになります)。

 

◯ 一宮の中3自殺に関して - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ がんばりすぎない - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ ここまでのイジメに教育現場は何もできないのか? - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ 「死ねばいいのに」は,あまりにも残酷すぎるコトバ - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ 逃げちまえ! - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

 私の中では「子供のイジメ」と「大人のイジメ」は少し切り離して持論を有しています。そのあたりで,ひょっとすると気分を害されるかも知れません。あくまで「ひとつの意見」としてお願いいたします。

 

 あまりに共感してしまったので「ひつじのブログ」さんとこにコメント残してきました。人んとこのブログにコメント残すのって,私には相当勇気が必要なことなんですよね……できればたくさんコメがついてる場所に「埋もれるように」足跡残してきたいほうでして。私がコメ書かせていただいてきたのって,ASKAさんとこ以来のアクションです。なにせメンタルが豆腐ですから(笑)。

ものの感じ方

テレビ つぶやき

 

 さっきのエントリーから少し時間が経ちました。

nagoyanian.hatenablog.com

 つい今しがた,Twitterの「#しくじり先生」のハッシュタグで検索して,いろんな方々のツイートを見ていました。新庄剛志先生がかなり面白かったみたいですね……私は結局,坂本ちゃんが終わったところでテレビを切ってしまったのですが。

 ツイート見る限り,坂本ちゃんに関しては意外?にも私と同じような感想を持っている方が少なくないみたいです。結構安心しました。かけがえのない家族!——なんて美談的価値観の一方,書店なんかではいわゆる「毒親」に関する書物もよく見かけますものね。

 番組としてのまとめ方はきわめて悪いと言わざるを得ないのだけど,その番組を見ている人の多くがとても冷静に本質を見抜いていることに安心しています。

 いずれにせよ……少なくとも「坂本ちゃん」お一人の胸の中にしまっていたモノを,彼がひとまず表に出すことには成功したわけだ。全うなことを言ってくれる人が身近におれば,きっと「家族の絆ではないほうを選ぶ」ことの意味についても考えさせてくれることでしょう。

 本当に優しくて純粋な人なんだなあ。私は絶対にそんな卑怯者にならない自信はあるから,友達にしていただいて潰れるまで酒飲んで語り明かしたいぐらいです(笑)。そういうご友人がきっとプライベートでおられると思います。そういう人の存在が,血を分けていることなんかよりも遙かに超越した何かをもたらせてくれるかも知れません。ぜひともそうなってほしい。

 血縁なんて案外どうでもいいかも知れない——という件でいえば,先日の「正男氏」も(勿論,金正男氏がそういう人なのかというのはマスコミを通して見ているだけだから,彼が本当にそういう人なのかどうかは分からない)本当に彼がその表情に見る人柄そのものの持主なのだとしたら……血でその人が決まるなんてことはないのかも知れません。血のつながりの意味ってのは,日本に古くからあって押しつけられてきているほど,自分を犠牲にしてまで守り抜かなければならないような物事ではないのかも知れません。

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