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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



同志も敵も同じぐらいいるみたい

つぶやき 日記

 

 ふらりと入った書店で本を「衝動買い」することが,最近の趣味になりつつあります。

 家内が朝の9時をすぎても布団の中でグズグズしているので,私はさっと風呂に入り身支度をすませて外へ出ることにしました。置いてけぼりにして悪いけど。1時間弱ほどウォーキングしたあと,その足でショッピングモールに入りました。都心をはずれた小さなモールですので,土曜のこの時間ですがフードコートに少しぐらい長居しても迷惑でなさそうです。

 さっき本を1冊買ってきたばかりです。本を買って2つあるレジに並んだとき,ちょうど横のオニイサンが「お願いします」って言って店員さんに本を差し出しておられました。作業着風の服装だったので,仕事が終えた後かあるいはこれから仕事なのかも知れません。

 体調を崩していたこの1年ほど,物を買う側の立場であってもちゃんと「声を出してみる」ってことを少しだけ意識してきました。うまくできるときも,そうでないときもあるんですが。それこそコンビニでもスーパーでも無言で物が買えてしまうわけですが,何だか「人間らしさ」からどんどん乖離していくような感じをひどく窮屈に感じていたのです。

 私自身,挨拶ってのが極度に苦手です。特に会社の中ではなかなか上手くできない。入ってくるときに声出すと,どうも取って付けたような感じになってしまうみたいで。逆に小声とか会釈とかで済ませたことを根に持って,「ちゃんと挨拶できる人を採用してね」なんてこれ見よがしに言うバカ上司もおりましたっけ(そのくせちゃんと挨拶したときは,すごく面倒そうな返しなんだよな。単に嫌われてただけだと思う)。会社って場所は実に不思議な場所で,実際,挨拶なしに入ってくるような人のほうが私なんかより数段うまくやっているふうにさえ見えましたね。そこんところは本当に難しいんですが……そのうち挨拶ってのをテーマに何か書いてみようと思っています。

 そんなこんなで——レジで「客として」お願いと感謝を声にしてちゃんと出せる人へ,私はリスペクトをもって眺めております。小心者の私自身もできる限りそうするように努力しております。もちろん強制することでもされる事なんかではなく,単に私が安心感を覚えることができる……それだけのことなんですが。

 で,本を買い終えてレジを離れた。すぐさま目の前を,小走りの幼児に続いて若い母親が横切ってきました。で,横切りざまに「ちっ!」と舌打ちされてしまいました——お互いの歩行の進路なんてことは,本当は両成敗のはずなんですけどね。他人様の舌打ちからは一瞬にして,憂鬱を受け取ってしまいます。ああ……。

 どうやらこの世では,同志も敵も同じぐらいの割合で遭遇するみたいです。

 

ゴミ集積所

かなしいこと ぼやき

 

 10時半ごろのこと。ベランダから集積所を見下ろしてみたら……まだゴミ袋が回収されずに残っている。あ,これはまだ間に合うかも知れない! 一瞬そう考えて外に出る準備をはじめようとしたのですが……やはり途中でやめてしまいました。慌ててやったことが時々,ろくでもない結果を招いてしまう。そういう考え方が板についてしまっています。なるべく衝動的に行動しないようにしています。

 集積所にゴミを出すことが長いこと苦手でした。いまだにそうかも知れませんが……最近はもう普通に出せるようにはなっています。とりわけ断捨離が捗ったいまは,集積所にゴミを出すことを意図的に先送りすることはなくなりました。

 

① 集積所で回収の方と鉢合わせる可能性

 本当に「人から怒られる」の苦手なんですよ(苦笑)。思えば実家の母親なんかは,回収車と居合わせても「ああ,よかった。間に合った……」なんて言いながら,朝の9時とか10時とかに平気で集積所まで息切らせながら1往復してたような気がします。まあ回収の方もおそらくは「袋に書いてあるだろ,時間どおり出せよ!」なんて恫喝したりなんかは,まあ滅多なことではなさらないとは思うのですが。

② エレベーターで降りている間に回収し終えてしまう可能性

 これ……たぶんさほどショックは感じないと思うんです。持ちだしたゴミ袋をぶら下げ,少しだけorz感を醸し出しながら自宅に戻ればいいだけのことですから。うちの集積所にも何人かマナーのよろしくない人がいるようで,ゴミ袋が夕方になってもそのままになってることは度々なんですが——私にはそれをやる度胸(?)はありません。

③ ゴミ持って降りているときに近所の人と出くわす可能性

 たぶん……私にはこれが一番ストレスフルなこと。実は苦手なのは「怒られること」ってより,むしろ「気まずさ」のほうなのかも知れません。そういう風になったとしても,心の中で「ああこの人,こんな時間にゴミ出そうとしてるよ」みたいに思われて終わりでしょうけどね。たいていの場合は黙っててくれるものと思われます。若い人なら案外,むしろ「間に合って良かったですね」あるいは「残念でしたね」って笑ってくださる方も見えると思うのですが(笑)。


 ゴミ出しに関しては,いまだにトラウマになっている出来事があるんですわ。
 
 もう15年ぐらい前ですかね。まだ独身でワンルームロフトつきのアパートに住んでいた頃なんですが……いつもどおり朝の7時ごろに集積所にゴミを出しに行ったら,いきなりオバサン(というかオバアサンというか)に恫喝されたんです。
「あんた,何ここにゴミ出しとんの!!」
 あまりにもびっくりしたんです。だって,アパートのすぐ正面にある集積所ですよ?! 咄嗟には何も言えなかったと思うのですが,あまりにも理不尽ですからたぶん「何で?」ぐらいのコトバは発したと思います。
「あんたあのアパートだろ。だったら,ここにゴミ出すなっての!」
——どうやらアパート横の階段下にある,もうすっかり風化してぼろぼろになったボックスが住人所定のゴミ捨て場らしい。でも……入居時にも不動産屋さんでそんな話なんかされたことがない。第一あんなボロボロになったボックス,誰も使っている形跡がなくて,おそらくアパートの管理人もあんなもの放置しているに違いない。

 それにしても「私が」そんな風に怒鳴られる筋合いはないんです。でも……そういう恫喝のされ方したときは,大抵何も言えないことが多いです。さもなければ,昨年末(このブログを開始したときに遭遇したジイサンとの喧嘩——たぶん初期のエントリーに書いてます)みたいに私が半ばパニックを起こして,街中なのに怒鳴り合いの喧嘩になるかです。いずれにしてもそのときは頭の中が怒りで渦巻いたまま,ゴミ袋をぶら下げて部屋に帰ったと思います。

 私がそれなりに「賢かった」ならば,あのクソババア(失礼!)がいなくなったタイミングを見計らってゴミを出しに行って忘れてしまえば良かったんですが……腹の虫がおさまらなくて,おそらく9時をすぎたすぐあたりに市役所に電話をかけました。役所の人いわく「まあ集積所って地域の管理組合が仕切っているからねえ」と電話口で苦笑された(笑うなよって!)。貴方が管理組合さがして組合長に挨拶に行って清掃の当番引き受けるとか,そういった方法があるかも知れませんよぉ——みたいなことをひととおり言われたあと,忙しいからってすぐに電話切られたような覚えがあります。その時点でもう管理会社に電話する気力さえ失せてしまって——まああれからすぐ引っ越しました,もうやってらんないと思ったので……あれいまだにトラウマなんですよね。書いているだけでもいまだに激しい怒りがこみ上げてくるぐらいで。もう遠い昔の話なのにね(笑)。

 そんなわけで——ゴミを集積所に出すことに対しては,何か「後ろめたい気分」ってのをぶら下げてしまう心のクセとずいぶん長いこと付き合わされました。ゴミの分別方法を間違えてしまってないかとか,近所の人に袋開けられてチェックされやしないかとか,ゴミ出しの時間がふさわしくないとかって恫喝されないかとか……前述したとおり最近はもう全然大丈夫なんですけどね。その手のトラブルにはあれからは一度も遭遇したことはないですし。

 でも一人暮らしのアパートってのは,ゴミに限らず本当いろいろありました。中古マンション買うまでに4回ほど独居のアパート暮らしをしています。が……トラブルがなかったのは大学時代に住んでいたアパートだけでした(住んでいるのは同じ大学の学生ばかりでしたし)。騒音問題とかならまあ「さもありなん」って感じぐらいでしかないのですが……郵便受けの封筒を開けられてたときなんか相当びっくりしました。ポストから少しはみ出してしまうA4サイズの封筒の差出元に興味持たれてしまったんでしょうけど……。あと,通帳すらろくに管理できないアパートの管理人から「家賃を3ヶ月滞納している」ことにされてしまった(ちゃんと払っていました。向こうが見落としていただけでした。証拠になる振込記録を突きつけたら,自分のほうでも入金を確かめられたらしく,笑って流されてしまいました)のもびっくりしました……。そうやって考えると,結構いろいろひどい目に遭ってるなあ。よく生き延びてこれました(笑)。

 生きるにはほんと逞しさが必要です。

 

「死にたくなったときに読め」というあの漫画がすごくわかりやすかった

覚え書き 教育 社会

 

shinya-sheep.hatenablog.com

 

 いやあ……恐れ入りました。

 イジメに関しては最近,私自身も個人的に思うところをたびたびエントリーさせていただいていますが……あまりにも明快で。私がコトバを足す必要なんて何ひとつ感じない。子供のイジメに関しては「運次第」って言い切ってしまうぐらいでいいと思ってます。「自分を責めなくてもいい」——冒頭から最後まで,全面的に賛同します。

 

 このテーマと関連することについて,私の考えは過去に幾つかのエントリーで上げています。極論になりすぎているものもあるかも知れませんが……もしお時間がよろしければお読みいただければ嬉しいです(以下はリンクになります)。

 

◯ 一宮の中3自殺に関して - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ がんばりすぎない - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ ここまでのイジメに教育現場は何もできないのか? - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ 「死ねばいいのに」は,あまりにも残酷すぎるコトバ - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

◯ 逃げちまえ! - 豆腐メンタル(By nagoyanian) 早く人間になりたい

 私の中では「子供のイジメ」と「大人のイジメ」は少し切り離して持論を有しています。そのあたりで,ひょっとすると気分を害されるかも知れません。あくまで「ひとつの意見」としてお願いいたします。

 

 あまりに共感してしまったので「ひつじのブログ」さんとこにコメント残してきました。人んとこのブログにコメント残すのって,私には相当勇気が必要なことなんですよね……できればたくさんコメがついてる場所に「埋もれるように」足跡残してきたいほうでして。私がコメ書かせていただいてきたのって,ASKAさんとこ以来のアクションです。なにせメンタルが豆腐ですから(笑)。

ものの感じ方

テレビ つぶやき

 

 さっきのエントリーから少し時間が経ちました。

nagoyanian.hatenablog.com

 つい今しがた,Twitterの「#しくじり先生」のハッシュタグで検索して,いろんな方々のツイートを見ていました。新庄剛志先生がかなり面白かったみたいですね……私は結局,坂本ちゃんが終わったところでテレビを切ってしまったのですが。

 ツイート見る限り,坂本ちゃんに関しては意外?にも私と同じような感想を持っている方が少なくないみたいです。結構安心しました。かけがえのない家族!——なんて美談的価値観の一方,書店なんかではいわゆる「毒親」に関する書物もよく見かけますものね。

 番組としてのまとめ方はきわめて悪いと言わざるを得ないのだけど,その番組を見ている人の多くがとても冷静に本質を見抜いていることに安心しています。

 いずれにせよ……少なくとも「坂本ちゃん」お一人の胸の中にしまっていたモノを,彼がひとまず表に出すことには成功したわけだ。全うなことを言ってくれる人が身近におれば,きっと「家族の絆ではないほうを選ぶ」ことの意味についても考えさせてくれることでしょう。

 本当に優しくて純粋な人なんだなあ。私は絶対にそんな卑怯者にならない自信はあるから,友達にしていただいて潰れるまで酒飲んで語り明かしたいぐらいです(笑)。そういうご友人がきっとプライベートでおられると思います。そういう人の存在が,血を分けていることなんかよりも遙かに超越した何かをもたらせてくれるかも知れません。ぜひともそうなってほしい。

 血縁なんて案外どうでもいいかも知れない——という件でいえば,先日の「正男氏」も(勿論,金正男氏がそういう人なのかというのはマスコミを通して見ているだけだから,彼が本当にそういう人なのかどうかは分からない)本当に彼がその表情に見る人柄そのものの持主なのだとしたら……血でその人が決まるなんてことはないのかも知れません。血のつながりの意味ってのは,日本に古くからあって押しつけられてきているほど,自分を犠牲にしてまで守り抜かなければならないような物事ではないのかも知れません。

しくじり先生で坂本ちゃんを見た

テレビ 覚え書き 親子関係

 

 見終えたばかりです。後になってからまた深く考えようとしたりもするだろうけれど……あまりいろんな情報入れずに,今思ったことだけをとりあえず一気に覚え書きしておこうと思い立ちました。たぶんネット上には,ツイートなんかもこのあと一気に増えてくるのだろうから。

  ちょっと体調が悪くて,夕方前に帰宅してからしばらく横になっていました。目が覚めたら7時すぎ。本を読めそうな気力もなく……テレビをつけたら,ちょうど「しくじり先生」がやっていて,坂本ちゃんが出ていた。

 この人も最近すっかりメディアでは見なくなっていましたからね。「東大一直線」の頃といえば私もテレビはよく見ていたので,けっこうあのコーナーも感情移入しながら見ていたところがありました。

 しかし人というのは,見えないところでどんな事を抱えるものか……わからないものですね。本当に苦労していたんですね。

 親との関わり方に関しては,私もこのブログで度々書いてきました。どんなに不条理でも——仲良くやりたいとか頼られたいとか逞しくみられたいところがあるんですよね。私にしても外に友人を作ることがとても苦手ですし,無条件に居場所が保証されていた家族って場所だけは,あらゆることを許さなければならないような気分にさせられてしまう事物が山ほどあったりするんですよ。だから気持ちはわかる。ただ……お金の問題が入り込んでしまうと,それが何であれ,もはや気軽に済んでしまうようなことではなくなってしまいます。

 私も娘たちには言うんです。勉強とかブラックバイトから逃げるとかはいい。たいてい何をしくじっても生きていけるけど,「お金と命のことだけは」周りを巻き込んで全体が共倒れしてしまいかねない物事だからというのを強く言い続けてきました。自分や他人の借金と人身事故——この2つだけは何が何でも起こさぬよう,そして万一のことがあったら隠し立てせずに親である私には真っ先に言え,こればかりはひとりぼっちでの舵取りは無理だ……という話です(ちょっと横道に逸れてしまいましたが)。

 坂本ちゃんに対して思うことは「このことだけは(テレビ局が企図するような)美談なんかで終われない」ということ。きっちりと線引きをしなければならない。悲しい。ほんと悲しい。とても悲しい。だけど敢えていう。私はその貴方の家族とはもう「絶縁したまま」で生きたほうがいいと思う。貴方は優しすぎる。番組の中では「もっと話を聞くようにすればよかった」と自責の念をコメントしているが,その状況では話を聞いてもただいいように利用されるだけになります。「12年(だったか?)絶縁しつづけた」その対処法が正解だったんです。貴方はまったく悪くなんてない。

 ひとりで番組見ていて……涙が出てきた。

 番組はなぜあんな演出の仕方なのか。家族のキズナって美しいね……だなんて生やさしい話ではないですよ。坂本ちゃんが「正しい自信の持ち方」を手にすることが一番大事かと(今回の出演はたぶんメディアへの露出に関して「新しい流れ」がはじまるきっかけにはなりそうには思える,ただ「忙しすぎる人」向きではなさそうな方だとも思うけど)。で……その優しさは財産です。テレビで喋れないことも幾つも抱えているでしょうが,貴方はきっと凄い人だ。そういう感じ方ができるというだけですでに凄い人だ。ただ「巻き込まれ」てはいけない。その感じ方と強さをもって,正しく黒白をつけながら生きてください。その目線が(家族でない別の)誰かを助けることに役立つかも知れない。誰かを救えるかも知れないだけの経験をしていますから,逆に巻き込まれて「傷つく立場の人」に戻るのではなく,同じような人を「立ち直らせる側の人」になってほしい。救いを与えるその相手が「家族」じゃなくてもいいではないですか。メディアの露出機会が(幸せになれるような形で)増えることを願ってやみません。貴方の頑張りで,貴方自身が幸せになってください

 なんか私が暴走して熱くなってしまってる。それと……何より,坂本ちゃんのほうが私より年上だったってことにもびっくりしてしまったけどね。

【読書録】顔ニモマケズ〜どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語

読書

 

 「見た目問題」——そう。「見た目」(外見)についての話です。

 さまざまな病気によって顔の外見に対して問題を抱えてしまいながら,力強く生きている9人の方へのインタビュー集であり,インタビュアーである水野敬也さんがその中で「学んだこと」がインタビュー毎にまとめられています。昼前に立ち寄った最初の書店で見つけて,今日最初のエントリーで少し触れていた(夜に感想を書いてみようって)その1冊です。

 

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 我々は「見た目」でいろんな物事への印象を決めつけてしまいがちで,だからその第一印象でそのあとの関わり方が決まってしまうところが多々あります。通りすがりだったら……ジロジロと見られて,でもすぐさま目を背けられて。で,それが同級生とかだったりすると……今度は,真似されたりニヤニヤされたり辛いコトバを投げられたり。人ってどうして「関わりを持たない」ときにあれほどよそよそしくて,でも「関わりを持つ」と相手に対してそんなふうに出てしまうのだろう。

 ご当人のほうはやはり「普通」になりたいから手術をする。一方的に苦しい思いを引き受けることを余儀なくされる。上手くいかなかったり,何度も手術を繰り返したりもする。結局,普通になり得ないのだという現実に直面することになる。ほんと運命的な不公平を強要されてしまっているわけだけれども,実際には誰もが確率的なものとしてそうしたことの当事者になる可能性があったはずなんですけどね。不条理って何なんだろうな……考え込んでしまいます。

 不条理を受け入れることは生易しいことなんかではない。他人事のようにして,意志が強いとか弱いとかって言い放って終わるような話ではない。「受け入れる」といえばポジティブなコトバになり,「折り合えた」といえばほんの少しだけ希望の感じられるコトバになるだろう……もはや傍観している私がそんなふうに勝手なことを思うのもある意味ずいぶんと残酷なことだ。でもしっかり考えておきたい。なぜなら,おそらく実際の私自身が「見た目」でいろんな物事への印象を決めつけてしまっていて,その第一印象でそのあとの関わり方を決めてしまいながら生きてしまっていたはずだから。

 

 冒頭にも書いたとおり,この本では9人の方が紹介されています。最も印象に残った方のことを書いてみます。4人目に紹介されている,口唇口蓋裂のタガッシュさんという女性について。中学までは外見のことでイジメに遭い,死にたくなるほど辛かったらしいのですが——デザイン科のある高校に進んだら状況がガラリと変わったのだそうな。特撮の悪役が好きでその絵ばかり描いている人とか,死体(!)の絵ばかり描いている人とかがいて,排除するどころか「ここに傷があるといい」とアドバイスするような人がいた……

A ……そして,そういう人たちと話してみて分かるのは,中学時代は居場所がなかったり,友達が少なかった人たちだったりするんです。
Q 自分と同じような境遇の人と出会えたことで安心感があったということでしょうか?
A うーん,安心感というのはちょっと違うかもしれません。
  逆に,私の中で焦りのようなものが生まれました。「私,すごい普通だからこのままだと埋もれてしまう」という。
Q それまでは自分自身に対してどのようなイメージを持っていましたか?
A 症状があることで,自分は普通じゃないと思っていました。悲劇のヒロインというか,普通の人とは違う症状があって「可哀そうな人」というイメージでした。
  ただ,高校に入ってからそんなことはどうでもよくなりました。……
「顔ニモマケズ」(水野敬也 文響社2017)P.82〜83より引用 <強調(赤)はnagoyanianによる>

 自分の世界を大事にしていて,周囲の人を自分の世界に引きずり込もうとする人たちに囲まれていたらしい。タガッシュさんはそんな状況を,次のようにも表現しています。

Q いじめのようなものはなかったですか?
A ありませんでした。いじめって集団の中で「異物」を排除しようとする動きだと思うんです。ただ高校の同級生はみんながそれぞれ「異物」だから,そもそも異物が存在しないんですよね。
「顔ニモマケズ」(水野敬也 文響社2017)P.84より引用 <強調(赤)はnagoyanianによる>

Q ……環境を変えたことによって,意識に大きな変化が現れたように感じます。
A それは本当にそう思います。私は小学校・中学校時代,友達は片手で数えられるぐらいしかいなくて,いじめもあったし……でも,そういう狭い世界で生きていると,学校だけじゃなくて,社会全体が自分の敵に思えてくるんですよ。「この場所で,こういう状態なら,きっと他の場所も全部そうだろうな」という風に。だから家を出るときは戦いに行くという気持ちで出かけていました
「顔ニモマケズ」(水野敬也 文響社2017)P.86より引用<強調(赤)はnagoyanianによる>

Q そういう人たちは,どうやって悩みや劣等感を乗り越えていったらいいのでしょうか。
A ……私,ヘヴィメタルが好きなんですね。……(中略)……
  それで,私が思うのは,これまで私は「好きなもの」に助けられてきたってことなんです。絵を描くのも音楽を聴くのも最初は現実逃避から始まりましたが,自分が好きなものを見つけられるってすごく大事で,絵を描いているときも音楽を聴いているときも,気持ちを素敵なものに向けることができます。でも,それがないと「ああ,自分はどうして顔の症状があるんだろう」とか「どうしていじめられるんだろう」とか,そういう気持ちがぐるぐると頭の中を回り始めてしまいます。そうならないためにも,まず,何でも良いから好きなものを見つけることが大事なんです。……(中略)……
 そして,もう一つ大事なことは——自分と同じものを好きでいてくれる人が必ず世の中にいますから。そういう人たちとつながってほしいです。
「顔ニモマケズ」(水野敬也 文響社2017)P.89〜90より引用<強調(赤)はnagoyanianによる>

 本当にさらっと流し読みした段階なのですが,この方のインタビュー……何かとても心に引っかかったんですよね。著者でインタビュアーをつとめた水野さんは彼女の高校生活を,「人種のるつぼ」であるアメリカ社会が近年「サラダボウル」と呼ばれる(らしい)ことになぞらえています。つまり粉々になって混ぜ合わされているのではなく,混じり合っていても個々の野菜は原型を保って存在しているということ。

 そういう世界(というか,そういうふうに意識された世界)がとても素敵なものに見えます。存在するそれぞれが自信を失くすことなく,相手を巻きこみつつ共存しあえるって最高ではないですか。何かが何かの引き立て役で,何かが場の空気を読んで取り入るかのように存在感を薄くすることに気を揉んでいる——今生きている場所がそういう場所のように……本当そう見えてしまっていたんですよね。その見え方に対して諦めを抱いてしまっていた私自身にも,しっかりと疑問を持つことができそうな……そういう勇気を与えてくれたような気がしているのです。

 9人それぞれの物語があります。いろんな切り口から「見た目問題」について,正しい疑問をもつ手がかりを貰ってみたい。決してきれいごとだけで片付く問題なんかではありませんが。

ASKAさんの「700番」が書店に出ていた!

読書 音楽 ネット

 

 先刻の喫茶店を出たあと,別の書店で見つけてしまいました。昨日はYAHOO!ぐらいしか巡回しなかったので,発売はもう少し先だとばかり思っていました。

 

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 やはり,どうしても一番気になっていたことの結末を知りたかったので……申し訳なかったのですが,まずは後ろのほうから読ませていただきました。なるほど——私が想像していたのは見事に外れていました。余りにも筋の通った物事ですごく納得しました。自分を護るためには「頭のよさ」もそうだけれど,正解をすぐに主張するというのではなく「表に出すタイミング」ってのもすごく大事なんだなあ。私は最初,この本の出版って何か早すぎやしないのか……って思っていましたが,しっかり纏まった内容で,誇張されたり面白おかしくしているようなフシもまったく見られません……このタイミングで正解なんだろうな。でも何か本当にすごい話だなあ。。。と。措置入院の部分もとてもリアリティーに満ちていて迫力を感じました。

 それにしてもマスコミの情報発信のフィルタリングってのが……ひどすぎる。昨日〜今日にかけてのYAHOO!のエンタメニュースで音沙汰無しなのってどういうこと?! 憶測で書けそうな物事(具体的には例の急に出家されてしまった女優さん)ほど前面に出て面白がられてて,裏が取れてしまうような物事はスルーなのか?! このニュースを,昨日のうちに私が知り得なかったってのは何故なんだろうか? あるいは私が今朝からずっと在宅しててバラエティー番組とかチェックしてたら,ASKAさんの「700番」のニュースに昼あたりには触れることができていたのでしょうか。

 ともあれ喫茶店をコメダへはしごして……「たっぷりコーヒー」をちびちびと飲みながら,改めて冒頭から一気に読みました。

 私にはすべての物事が晴れたものと解釈しています。

 いい音楽を!!!

【追記】Amazonにはすでに,もう幾つもの書評がついていました。それにASKAさんとこのブログを覗いたら,もう「書店に並んでる」って2日前におっしゃってますね。そうなのか(笑)。

ささいな「かみ合わせ」

日記

 

 昼食で喫茶店に入りました。今日はランチがカレーで,サラダとコーヒーがついてきました。まずはカレーとサラダを美味しくいただいて……カバンの中にさっき買ったばかりの本を携えてますから,コーヒーでも飲みながらのんびりしようかと。

 だけど……お店の人も,食べ終えた食器は早く片付けてしまいたいだろうな(この店はセルフサービスです)。そう思ったので,先に空になったカレーとサラダの食器を返しに行きました。

「有り難うございましたー」

 と3人ばかりの声を次々に背中に浴びたわけですが……でもオレ,まだコーヒー飲んでないんだよ。ごめんね,まだ帰らなくて残ってていいですか?(苦笑)

 この手の違和感(かみ合わせの悪い感じ)が妙に苦手なんだなあ。

 ここで「いや,もう少し長居させていただきますから」って声かけるのも変ですものね。要するに「気にしすぎ」ってヤツでしかないんだけどさ(笑)。

 さっき,結構おもしろそうな本を見つけてきました。ひょっとすると夜あたりに感想エントリーを投下するかも知れません。最初はあの騒動(電撃引退されたあの方)の本があったら……と思って,ふらりと書店を訪れたのですが。予想どおり,置いていなかったです。興味本位ってより「言い分」がどんな風であるか,マスコミの流すものの印象だけで考えを決めてしまいたくなかったので。まあ別に読めれば読めたでラッキーですし,読めなければ読めなかったで別に構わない。係争なんてのは,当事者どうしにしか分からないもので溢れ返ってる。我々に見ることが出来るものなんて高々知れていますから。

 コーヒー飲みながら,あと30分ぐらい居させてもらおうかなって思っています。

【覚え書き】CE0168のSpeed Wi-Fi Next setting tool のログイン方法をメモっておく

ネット 覚え書き

 

 外出先ではPocket Wi−Fiを使っています。使い始めてまだ3ヶ月に満たない初心者です。使っているのは,WIMAXのCE0168とよばれる機種。

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 ところでおそらく設定を行ったときだと思うのですが,MACにこのようなソフト(Speed Wi-Fi Next setting tool)が入っていることに気づきました。

 

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 何かよくわからんが……WIMAXをUSBでつないで試しにクリックしてみた。ブラウザに接続されて,出てくるのは次のような画面。

 

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 なるほど……で,ログインってどうやればできるんかいな,と。

 私はGMOで契約しているので,最初,会員IDとか会員パスワードとかを入れたりして試行錯誤していたんですが,どうもうまくいかない。で,いろいろ調べました。

ユーザー名:初期設定は「admin」という5文字の英字

パスワード:初期設定はIMEIの下5桁

 え? IMEIって何ですか??

 IMEI ‐ 通信用語の基礎知識(リンク)

 どうやら携帯電話などの端末を識別する番号のことらしい。加入者の識別はSIMカードで行われているらしいのだけど,それとは別にこのような端末識別番号ってのがあるのだそうです。初めて知りましたが……iPhoneにもちゃんとそういう番号がついてました(設定をタップ→一般→情報 のところの後ろのほうに書かれていました)。

 で……ポケットWi−Fiのそれはどこに???

 ここ↓に書いてありました(黒塗りさせていただいてますが,ここのラベルにバーコードと一緒に15桁の番号が書いてあります)。

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 指示どおりに入力を済ませると……

 

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晴れてこんな画面が出ます。

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いくつかのメニューに移動すると,こんな感じ。

 

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 これらのキャプチャーをご覧いただければだいたい,何ができそうなのかは分かっていただけると思います。おそらくはわざわざPCを経由しなくても,CE0168本体のほうで設定できる内容ばかりだと思われます。

 あとは任せた ^^

 とりあえずログイン方法がさっぱり分からなかったので覚え書き——でした。

 

一宮の中3自殺に関して

かなしいこと 教育 社会

 

覚え書きみたいなものとして, 14日の中日新聞のスクラップ(切り抜き)をアップさせていただきます。尾木ママこと尾木直樹先生のコメントが掲載されています。

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残念ながら,担任の先生には「当たり」「外れ」があって,自分の気持ちを分かってもらえないことがある。
中日新聞 2017年2月14日朝刊第39面より引用)

 どんな人間関係でも、相性って溝は埋まらないことがある。その埋まらない溝をどう取り扱うかっていうのも、長い目で見れば生きるためのスキルではあるんです。個人的には以前から書いているように「役割は非対称でも、コミュニケーションは対称であるべきで、それを尊重しあえることが健全な自信を育んでいく」と考えています(綺麗ごとすぎますけどね)。でも一度にはそれは無理で、物事には順番がある。そのあたりの責任の一端を子供にいきなり負わせるのは酷だろうなと。だったらそれは、まず教師のほうが絶対に「噛み合わせから来る好き嫌いを持ち込まない」ってのがルールだろうと。

 教師は聖人君子ではありません。別に聖人君子で無ければ教育してはだめ……とはまったく思わないのですが(残念なのは,教壇に立っていたのが盗撮・わいせつ行為をする者だとか飲酒運転者・万引犯(つまり犯罪者)だったという事件が実際に全国で報道されている。イメージとして,子供にとっての大人が信頼に値しなくなってしまっている。そんな中で主導権を握ることが難しくなっているところはあるのでしょう)。でも,大人社会のパワハラめいたものを希釈もせずに持ち込んでパワーゲームの王様を気取っている教師ってのは相当罪深い。イジメほどの物事ではありませんが,内申点をつけるにしてもきわめて不公平で「基準が曖昧すぎて意味不明」というケースもあったりする(娘に関して実際に遭遇しました)。大人でさえ生き残りにくいような(教師に感情的に気に入られなければ生き残れない)状況を,中学生の時点ですでに抱えさせられてしまっているってのは何なんでしょうね。中学校ってのが「社会の縮図」化しすぎてしまってるんですよね(こう言ってしまうと,一般化の度が過ぎているかも知れませんが。もちろん全てがとは申しません)。

真面目で一生懸命なあなたは,「学校に行かないなんて絶対だめだ」と思っているかもしれない。でももし学校が「危険地帯だ」と感じたら,思い切って休もう。命を守るために学校に行かないのは,全然恥ずかしいことじゃない。
中日新聞 2017年2月14日朝刊第39面より引用) 

 教師が直接危害を加えることがなくても,教師が誰かを感情的に「低く見てしまっている」事実が公然化することは,クラス内に「こいつはイジめて構わないヤツ」という空気感を公然化させてしまっていることに限りなく等しい。そのことに無頓着すぎるのが問題だと思っています。だから教師はそういう事態を丸投げして,「生徒間の問題だから」みたいに他人事ってことにして思考停止してしまってるわけだ。教育委員会は身内を守ろうとしている。まさにクソみたいな連中です(コトバが過ぎて申し訳ありません)。

 生徒間でのヒエラルキー形成はきわめて危険なのです。生徒の社会にヒエラルキーが形成されてしまってはならない。その治安を維持するのが教師の役目なのにさ……。で,そういったヒエラルキースクールカースト的なものに可視化されて,いざ「いじめ」が始まってしまったそのとき,いじめと犯罪の境目がこれまたものすごく曖昧になりつつある。イジメのターゲットになっている生徒の「生命の危険」に大袈裟でなく本当に結びついているというのが恐ろしい。例え恐喝とか暴力とかがそこになくても——「叩きのめすまで叩く」って風潮がネット社会とか大人社会で横行しすぎていて,まさにそのコピーのような構図でそういう暴力的なことが持ち込まれるわけだから,本当に命が危ない

 以前のエントリーでも書きました。本当に逃げてほしい。人生なんて後からいくらでも修正が利く。乗っかるレールから少し外れたぐらいでも大したことはないです。人生に正解なんてあるのですか? 親や教師が言うところの正解は「自分がラクになる観点」にしか基づいていないかも知れない。親をラクに生かすことが,その子が生まれた理由になってはならないと思うのです。相談相手に手間をとらせないことが,不条理を呑み込まねばならない理由になってはならないと思うのです。大人の体面を保つための殉死なんて物事が,どれほど馬鹿馬鹿しいことなのか。

 そういったことをしっかり考えられるような頭になるために(つまり道を外れたあと,生き残るための「知恵」はものすごく必要になる。だからこそ)「学問」が必要なのですが……だから逃げたあと,その学生が自覚的に教育を受ける権利に関して何かのアクションを起こすことは意外と重要な気がしています。何かそういうことのサポートが回っていくような方法ってないかなあ。以前も書きましたが,そういうものに携わってみたい気持ちがあります。力不足すぎて,なかなかアクションを起こす勇気が持てないまま棚上げになってしまっています。

 

覚え書き】教師側の保身の問題(学級崩壊,モンスターペアレンツ)と,生徒側の問題(いじめ等)を切り離しませんか? それがカオスすぎるから,こういう悲しい対立構造を作り出しているのではないだろうか。問題はひとつでなく多層にわたりますが,まずご遺族が納得されることを最優先されなければならないんではないかと。順番に論点を変えながら議論していくしかない。生きている人々の体面にあたる物事は後回しでいいではないか。命が失われたのです。

「気にしすぎ症候群」を読んだ

読書 心理

 

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https://www.amazon.co.jp/気にしすぎ症候群-小学館新書-伊東-明/dp/4098252333

 

 何かと「気にしすぎる」ことは多いものです。私のような「気にしすぎる」気質に対してはHSP [ = Highly Sensitive Person ] という概念があって,最近では幾つもの文献で紹介され認知が広まりつつあります(この本でも第二章で言及されています)。そこまで行かなくても,たとえばYahoo! 知恵袋とか発言小町あたりでは「気にしすぎ」な質問で溢れ返っています。まあそれらの何分の一かはおそらく,そんな心配性を煽る「愉快犯」だと思われますが。

 すべての気にしすぎというのが「リスク回避」の本能から来ていることには違いないでしょう。そのリスクの質や量に対する認知の歪みが異常性を生み出しているにせよ,気にしすぎることが少なくとも「リスクを回避すること」に役立っているというわけです。とはいえしすぎだと言っている以上,それが過剰である——とは指摘されているわけです。

 一口で「しすぎ」と言っても,具体的な過剰にはさまざまななものが有りえると思うのです(以下は本書を参考にした私の考え)。

◯ 量的な過剰(必要以上に気にしすぎている)
   確率的に起こりにくいはずのことを心配して陥っている「気にしすぎ」
   極端すぎる状況(二分論的な)を心配して陥っている「気にしすぎ」

◯ 質的な過剰(確証バイアス)
   
他者の目(想像物)と自意識の間の乖離のせいで陥っている「気にしすぎ」

◯ 頻度的な過剰(たえず気にしている)
   気にすることばかりに「時間をとられすぎている」

◯ 不安や恐怖の過剰
   気にしすぎがストレスフルな情動と結びつきすぎている

 繰り返しますが,気にすることのそもそもの意義は「注意を喚起しリスクを回避すること」でしかない。なのにそれらの過剰のせいで,さまざまな副作用を伴っていたとすれば……そのことが問題だったりします。とりわけ深刻なのは,最後にあげた「不安や恐怖の過剰」。これが身体症状に結びついてしまったら,果てはノイローゼと呼ばれるしかないものになってしまうでしょう。ともあれ,役立たない「気にしすぎ」がどれほど不毛なものかをちゃんと考えてみる機会にしてみたいと思います。

【覚え書き】脳内で起こっている「せめぎ合い」

 ◯ 怖がっているのは「哺乳類の脳」(=大脳辺縁系
 ◯ 怖がらせているのは「人間の脳」(=大脳新皮質
 ◯ ストレス反応を余儀なくされるのは「爬虫類の脳」(=脳幹) 

 大脳辺縁系大脳新皮質が仲良くやっていけなくなって,脳幹に影響を及ぼしてしまうことで,身体症状が表れてしまうかも知れません。眩暈とか不眠とか自律神経失調とか。

 しかしながら,現代社会は「気にしすぎ」を助長するような方向に進むばかり。セールストークは容赦なく,我々の「気にしすぎ」のツボをこれまた過剰なまでに突いてくるものです。不安になった我々は,自分の感覚が客観的に正しいのかどうかの確証を得ようとして,数多くの情報を収集しようとします。ネットはそれにきわめて適したメディアです。自分の感じ方と同じものを情報の中に見つけて安心感を覚える一方,際限なく拾い集めた情報を今度は持て余し処理しきれなくなってきて,そのことで新たな不安が生み出されていきます。そもそも感じ方に「正解」なんて無いのだから,多数決で結論を出そうとすることは時に自分自身の感じ方を抑圧することでもあります。人間というのは面白いもので,自由すぎると逆に束縛されることに安心感を覚えてしまうものでもあるんですね。
 

 こうした「気にしすぎ」の本質を踏まえながら,その対処(やわらげたり,活用したりする方法)について,次のようなものが考えられると思います。

① 「何を」「どう」気にしすぎているかに気づく。
② 気にすること自体を必要以上に否定しない
③ 徐々に,時間と量を短縮していくようにする
④ 気にしすぎの思考を止める(他のことをする,マインドフルネス)
⑤ 気にしすぎることの質を向上させる(リスク回避にとって合理的に)

 書物のほうでは気にしすぎる人たちへの「十ヶ条」が,最終章において以下のように伊東先生によってまとめ上げられています。

 ① 気にすることを気にしない
 ② 気にしすぎは,減らすor有効活用が吉
 ③ 未来のことなんか,誰にもわからない
 ④ 気にしていることは,自分だけに大きく見える
 ⑤ 自分の思考をコントロールする
 ⑥ 気にしすぎの根っこにあるものを自覚する
 ⑦ 他人はあなたのことなんて大して気にしていない
 ⑧ 気にしすぎを悪用させない
 ⑨ 時代に負けない
 ⑩ 気にするエネルギーを良い方向に使う
気にしすぎ症候群(伊東明 小学館新書2015) P.179〜206

  この本を読んで私なりに得たところをまとめてみたのですが,だいたいの大枠をつかんでいただけたなら,ぜひとも伊東先生の「説明」からそれらのひとつひとつを理解して実感へと結びつけてみてください。とても分かりやすく述べられている一冊だと思います。

必要?なネガティブさ

気づき 覚え書き

nagoyanian.hatenablog.com

昨夜の「1000円のメンチカツ」は,娘の弁当箱の中身になったらしい。

……で,今朝の本題に。

 

www.news-postseven.com

「僕はめちゃくちゃネガティブな性格なんです。でもその弱気こそが強さの秘訣で、ボクシングの時も“次の試合、絶対に勝てないなァ……勝てないから練習しよう”って奮起できるんです。がんも一緒。“死ぬかもなァ……死にたくないから頑張ろう”って」

 それ,何か「わかるなあ」って思います。私自身がまさにハイパーネガティブなところがありまして。勝てるぞ!なんて考えて勝負に出たことなんてのはほとんどない。「最初から負けるって思っとけば,負けたときにさほどショックを受けずに済むだろう」みたいなチキンな気持ちで臨むことが多いです。負けても「ああ,やっぱりなあ」って感じだし,勝ったとしても「たまたまだ,図に乗るんじゃねえぞオレ」って思うようにしているところがありますね。

 結果的に勝ち負けという言い方……をというのであれば,まだわりと「勝てている」ほうの人生だとは思っています。でも最近は負けがこんでいる。今の私に何か秀でているところがあるのだとすれば,それはネガティブだったからであることには違いないでしょう。劣等感がきっと私に,まじめに勉強をさせ続けているのだと思います。結果そういうことは,この歳になってなおスキルアップに繋がっていると思います。体力以外の部分に関しては何ひとつ衰えてなんかいないと思う。怖がりながら走り続けてる(笑)。

 ただ……きっとこういう性分のせいなのだろうけど,勝っても負けても感情的には本当あっさりしてる。せっかくなのだから,上手く行ったのならもっと喜びたいんですが——なかなかそうならんのです。もう身体に染みついたものなんだろうね。 

おそらく明日の朝ごはん……えええええっ?!

日記 やわらかめ

 

家内のお出かけ中にレンジ付近で発見。

まさか……値札通りの買い物なんかじゃないよね?? (((;゚Д゚)))

 

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火事場のクソぢから

つぶやき 日記

 

 先延ばししていることに関しては「とりあえず手をつけてしまえ」というアドバイスをよく見かけます。気乗りしようが気乗りしまいが……とりあえず何も考えずに手をつけてみろ,という話。

 まったくその通りだと思います。

 中途半端な状態でストップしたままになっていたものを,ようやく一気呵成に……仕上げに目途をつけることができました。あとは少しだけ寝かせて,イメージが抜けたあたりでミスを洗い出し終えたらようやく完了です。今日は,晩ご飯の30分ほどをはさんで,ようやくその気になった昼の3時半ごろからノンストップで……ついさっきどうにか片付きました。終わらないかも知れないとまで思っていたので,ほっとしています(笑)。

 でも,この「ランナーズハイ状態」が最近どうもしんどい……昔なら締め切り間際の「火事場のクソぢから」ってやり方はけっこう快感でさえあったのですが。最近これをやると……終わった後それこそ目が冴えて眠れない。明日も仕事あるのに困ったものだ。ああ,もう1時過ぎた。まあ,もう少しボーッとしていようと思います。羊さんでも数えましょうかね。

「黒白つける態度」ってのが何かとしんどい

社会 覚え書き かため

 

 そうか……何かにつけ「黒白つけなきゃならない」って思いすぎてるんだな。

 夫婦関係は,許せないことでも許し合えることを前提にして成り立っているような気がします。何事をもどちらかが「ごめんね」と言うまで許し合えないことにしていたら,そんな関係なんてとっくに破綻しているでしょうし(笑)。あるいは親子関係(とりわけ子から見た親)にもそういう側面がある。親というのは親子関係を楯にして,案外,不条理なことを言っているものです。友人関係もそうだと思います。余程のケンカでもなかったら,黒白つけろなんて物騒なやり方で争ったりしなかったような気がします。こちらが「ごめんね」と言えば,向こうもまた「いや,こっちこそごめんね」と言う——そんな感じで終わりますよね,ふつう。

 一方,それが全く面識のない人間が相手だったとすればどうでしょう。それでも結構な割合で「ごめんなさい」「いや,こちらこそ」で済んでしまうとは思う(思いたい)のですが——あまりにも酷いことをされたときには,黒白つけようとして頑張ってしまうことがあるかも知れません。このごろ,お年寄りとの間で何かそういう物事が多い。彼らは何だか「許されて当たり前」って態度で臨んでいて,最近ではそれが高圧的にさえ思えてしまうような場面によく出くわすんですよね。あまりにもヒドいと引き下がれなくなってしまうことが……実に悲しいことなのですが,しばしばあるんですよね。

 あえて中立的に言えば,許されたい側許さない側も妙にエスカレートしてる感じがしています。許されたい側の言い訳も許さない側の正義感も……きっとどちらもが肥大しすぎているのでしょう(肥大せざるを得なかった,という言い方のほうが適切かも知れません)。だからこそ黒白つけるやり方が当たり前になりつつあるのでしょう。

 もともとの日本はおそらく「許す」文化で,最近の日本とか西欧は「許さない」文化とでも言えばいいのでしょうか。いや,最近のマスコミが流すものに「黒白つけよう」って態度が色濃く現れすぎてるから,それに染まっているだけなのかも知れない。世代間対立に関して言えば,お年寄りの世代というのは「彼らの年長者」からさんざ抑圧されて生きた世代だと思うのです,それこそ有無を言わさず「年長者を敬いなさい」と言われながら。歳を重ねて得たはずの既得利権がこの社会において急速に通用しなくなったことで,その損得勘定をめぐって不条理感を抱いてしまう余り,彼らが信じてきた価値観を楯にして「無い物ねだり」してしまっている状態なのかも知れません。会社組織のあり方だって上司の側がかざしてくるものはすべて,(事実上)終身雇用が保障されていた頃のそれですからね。御恩と奉公の根拠にあたるものが崩れ去ったあとのそれは,パワハラと言われても仕方ない価値観だと言わざるを得ないところがあります。まさに新旧入り乱れて,世代間とか古いヒエラルキーとかの間でちょっとした「情動的な戦争」を迎えているのが今なのかも知れません。

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