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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



書くことも読むこともむずかしい

ブログ論 つぶやき

 ブログを開設して半月が経ちました。

 半月です。現時点でのエントリーが61件。削除してしまったものも幾つかありますから,けっこうなペースで文章を書き続けていることになります。100件書いたら小休止して,一度,過去のエントリーをブラッシュアップしたりコンセプトを統一したりするための時間を作ろうと思います。まあ「ひとり編集者」ですね(笑)。

 何のための文章か……要は日記であり備忘録でありアイデンティティーの確認作業だと思っています。「そんなものオンラインでするなよ」って言われてしまえば,確かにそうなのです。が,以前のエントリーでも書いたことがあると思うんですが,自身のリハビリとして「誰かに読んでもらうことを前提した文体・形式で書く」ことがどうしても私にとって必要だったのです。

 ニーチェの「ツァラトゥストラ」みたいな文体(個人的にはあれは,聖書のパロディーにあたるものと考えています)から,何が何でも抜け出したかったのです。ハードディスクの中に吐き出したコトバというのが,いつもあんな感じの散文調になってしまうのがもどかしかった。私とハードディスクとの「閉じた」ループ上で,表層的なフレーズを思いついては世の中の不条理を皮肉ること——そんなことをいつまで繰り返したところで,伝える相手を失ったままナルシシズムを肥満させてしまうばかりだ,と強くそう思ったのです。その不健康さがこわくなってきてしまったんです(笑)。

 若い頃の私は無教養だったから「ツァラトゥストラ」を知らなかった。いや,中途半端な頭脳でそんなもの呑み込まなくて良かったと思います。あの頃だったらきっと,ああいうのを「格好いい」以上には思えなかったに違いなかったから。コトバの触感(何か変なコトバですが)が持つカリスマ性みたいなものに騙されたに違いなかったから。一貫して流れる「本流」そっちのけで,断片的に読むことしかできなかったに違いなかったから。あの文体で書かれたあの作品,いまだに「自己流の解釈」からちゃんと抜け出して読む自信ってのがないんですよね(苦笑)。

 だからこそ,意見はちゃんと「話し言葉」で「理路整然」と表出できるようになりたい。お手本にするのは「ツァラトゥストラ」ではなく,たとえばアランの「幸福論」あたりがいいかなと思っています。今はちょうどその練習中なんです(笑)。ネット上でのお目汚し,ほんとうに申し訳ありません。

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