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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



日本のオトナはもっと「青くさい」こと楽しんでいいと思う

社会 ぼやき 読書

 

nagoyanian.hatenablog.com

 昨日「ガパパ!」を読んでから,もう完全にはるごん推しです(もうAKBグループ離れちゃったけど)。あの本を読み終えてから,YouTubeでいくつかの動画を探して見ていました。

 そこにあるのは現地のコトバを巧みに操る彼女が,トークショー番組のマスターたちにとても馴染んでいる姿。AKB48の横山由衣さんをゲストで招いたインドネシア現地の番組も含めて,何本かの現地番組を見ました(だから,ぶら下がってるコメントも多くがインドネシア語)。もちろん私にはインドネシア語なんてわからない。でも……なんか,ものすごーく楽しい雰囲気が伝わってくる。それだけで十分に楽しい気分になれてしまう,というこれまでにない不思議な感じを覚えました。

 向こうのトークショーって視覚だけでなく「聴覚」でも楽しませてくれる,ひとつの仕掛けがあるんですね。トークのおそらく「オチ」にあたるところで,楽器を使っていろんなサウンドを差し込んでくるんですよ。ちょうどドリフのオチみたいな感じで(でも画面も進行も,古くささはまったくなくて完全に「現代風」です)。あれ……ナマでアドリブでやってるんですかね。何か情緒にあたるものをそういう風に差し込んでくるという手法を,トークショーでそういう風にっていうのは……とても新鮮です。トークしてる内容なんて何一つわからないんだけど,喋っている人の表情と観客の盛り上がりとそういう音での演出だけで……なんだか十分に「楽しい」って感じがする。ふだんは理詰めで物ばかり考えてて,煽ってくるマスコミのほうも理詰めで煽ってくるわけで,日本の人気バラエティーを見ていても何か「いじめ」的な構図の滑稽さで笑いをとってくるものばかりで——笑っていても「それは本当に健全な笑いなのか」って思っていたんです。笑いって実は,もっともっと単純なものなのかも知れない

 意味はよく分からないけど何かめっちゃ楽しい——ひょっとすると,2〜3歳児なんかはそんな風に世界が見えていたりするのかも知れない。ふとそう思いました。人間が生き物である以上,自分と同じものを持ったはずの「自分と同じ形をしたもの」が集って笑い合ってる様に惹かれないわけがない。笑う表情がどういう心理状態の下でのそれなのかは,自分自身を感覚しておればおそらく分かる。そうか,今このバラエティーショーを「意味もわからず」見ているときに受ける,その感じってのはそういうものかも知れない。

 あと,人間は誰しも「たどたどしいコミュニケーション」からスタートしたに違いないのです。

 オトナからその「たどたどしさ」を(おそらく内心で)からかわれながら,オトナよりも拙いものとして自身のスタートを切ったはずなのです。スタートなんて実はどうでもいい。過程と,そこから先どこまで行けるのか——それこそが個人生活を送る人間としての楽しみごとなのだと思いたい。会話において「自分が滑稽であるかのような」構図が露わになったとき,ものすごく動揺させられてしまいますが,洗練されたものからはプライドこそ満たしてくれど何も学ぶことがない。でも,つい格好良さばかり求めてしまう。

 即戦力なんてよく言いますが,あくまでそれは企業側からの物言い。企業が儲けて成長することが,個人の人生にとっての幸せのすべてなんかであるはずがない。いろんなことが逆転しているのが今の日本。要するに年長者ほど有利になるような社会設計というところから始まって,次にそいつらに媚売って気に入られることに成功した奴らがいて,こんなふうにしていろんな「かくあるべき」の雛形が決まっていった結果,こうなってしまったのではないか……と。

 仕事に出かけるとき,いつもこの広告を目にするんですが,私はいつでも内心ものすごーく腹立つんです↓。 

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 うるせーよ,人育てるのはお前等の仕事だろーよ。

そんな「都合のいい人」なるために精神すり減らす必要はありません。

 

 何かといろんな疑問を「抑えながら」生きすぎている。ものわかりの良い人にならなきゃならない……って思いすぎている。何か言いたくても,「オマエはコミュ障!」みたいに押さえつけられてしまって,結局何も言えなかったのと同じになってしまう。それは最初からヒエラルキーを押しつけて近づくその人が,意図的にそういう枠組みの中に物事を押し込んでそうしているだけなのだと思います。

 私は自己表現がとても下手くそです。そのことでしょっちゅう辛い思いをしたので,組織内では私はとにかく「黙る」ことに徹して生きてきました(いまだにそうだとも思います)。ときどき「黙っていられなく」なって物を言うと,たいてい相手は自身を思考停止させてしまいます。でもそれは,私に対する侮辱だったのです。私が何を言おうとしているのか解読できないほどにのバカではない(少なくとも本人はそう思っているはず)。だとしたら,私の為に頭を使わないというのは,単に私の言うことを聞きたくないだけなんですよ。ふざけんなよ。

「オマエはコミュ障!」的に,一刀両断で物事の黒白をつけて良いと考えている連中のことを,そろそろ「全力で叩きのめそう」と思い始めています。そうか……喧嘩ぐらいできなきゃダメなのかも知れない。トラブルメーカーなんて一言で押さえつけられてしまうことを事あるごとに恐れてたんですが,それは相手がそういう卑怯な人間だからこそそうさせられていたのかも知れませんね。

 ちゃんと読めば,こうしたところまで掘り下げて考える機会を与えてくれる本です。もちろんはるごんさんが与えてくれているのは「体験談」であり,考えることは私が勝手にやってしまっていることですから念のため(笑)。

 私の文章ではあまりにも拙すぎるので……オッサンもぜひ買って読んでみてください。当たり前のことにしてしまっていたことが,ひとりの若い女性のトライアルから「実はとても損をしていた」ことに気づかせて貰えるかも知れません。

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