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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



「コンビニ人間」を読んだ

読書 言葉

 今日は,家内も娘も外で晩ご飯に誘われているらしい。ひとりなので……前の回の芥川賞受賞作であり,とても話題に上っていた村田沙耶香さんの「コンビニ人間」をKOBO電子書籍で読んでみました。

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 セブンイレブンで買った豚しゃぶサラダをビールの宛にしながら読んでおりました。とても臨場感のあるテンポの良い文章で,ちょっとぐらい酔っててもちゃんと読める読める……(笑)。まるでテレビドラマでも見ているかのような感じで読破できてしまいました。

 世の中でいう「この歳なら◯◯だよね」というヒエラルキーの下方に組み入れられてしまっている古倉の立場。その社会からスポイルされてすでに外側にはじき出てる白羽の立場。文句ばかりは一人前で都合いいことばかり言ってる白羽を,実に乾いた目で俯瞰して(私が感じる白羽への「嘔吐感」からあまりに余りにかけ離れた実にドライな人間観が痛快だった)自宅に住まわせてしまう古倉の心情と行動が,職場での折り目正しさからいってあまりにも突拍子なくて(笑)とても面白かったです。

 古倉から「ヒエラルキーからスポイルされてしまっている者」を俯瞰する目線は実にドライだけど,詰るわけでもなくどこか他人事みたいで。もっと詰ってやればいいのに(笑)。一方の,ヒエラルキーの下方に置かれていることにする周囲からの「空気感」へ,これもまたドライではあるのだけど何かもやもやしたモノ(というより,きっと「わからなさ」「わかりづらさ」の類なんだろうな)に対しての描写——こうしたものがとても巧く言葉やストーリーで表現されているなって思いました。読む私は,古倉に対して「どこか去勢されてしまっているような感じ」を受けてはしまうのだけど,現代社会の中に投げ込まれて生きることってそういう物事かも知れません。役割に順応しなければ生きていけない。社会に順応して生きることと「この歳なら◯◯して当たり前」の2本線のレールがあって,我々にはますます前者のほうが切実になってしまっているというのに,世間の痴話話においてはいつでも良く解らない後者のほうの押しつけに巻き込まれてしまうこと。そのときには,前者の規範を後者の価値が超越してしまっている場合すらあったり。その手の価値観なんて,年功序列でぬくぬくと生かせてもらえたはずの親の世代が作りあげた価値観なんですけどね。

 私のようなボキャブラリーのとぼしい人間には,なかなかうまく言うことはできてません(苦笑)。以前のエントリーで書いたとおり,小説ってのを読むのがどうも下手くそなんです。いつもどおりの,私自身の「覚え書き」ってことに免じて許してください。

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