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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



テレビや出版物での「教養ブーム」について

かため ぼやき 社会

 昼ごはんを食べていたとき,居間のテレビでクイズ番組をやっていました。

 5人でクイズの答えを1人1字ずつ答えていく形式の……そう,あれです(笑)。

 で,クイズの内容が「井伊直弼とペリーによる『日米修好通商条約』調印に反対した者たちへの弾圧を何というか」(正確にはちょっと違う問い方だったかも)というもので,答えは「安政の大獄」。あるいは「選挙に立候補することができる資格と権利を何というか」というもので,答えは「ひせんきょ」権(ひらがなによる回答)。回答者には「りっこうほ」権と思って答えてしまった人が2人ほどいて,チームとしては不正解になってしまった。

 教養を売りにした番組が最近多いですが……どれもこれも「単語知識としての教養らしきもの」でしかないんですよね。義務教育で習うだろというだけのことで。もちろん正解出来る人は「小中学校ではまじめに勉強したんだな」ってところで「えっへん」となるのだろう。でもこのごろ特に「だから何?」って思い始めてるんです,実は。

 言葉を知っているから賢くて,言葉を知ってないからアホ——そんなことはない。そのときは家内と一緒にテレビ見ていてどちらも2人で普通に正解できたのだけど……特に理系出の私は歴史背景ってところまで突っ込まれると,何一つわかってないのにそれを「合言葉的な」単語知識のように呑み込んで覚えてるだけなんですよね。その辺りはむしろ,大学出てない家内のほうがずっと良く知っていたりなんかする(中学時代に教わった歴史の先生がとても面白くて解りやすい人だったそうです)。

 教養とクイズの違いって何だろう。もちろん本当に教養のある人ってのは,それが何であるかというのを適切なボキャブラリーで解りやすく話すことができるでしょう(池上彰さんとか林先生とかね)。でも別の人は,それが何であるのかを置き去りにして(つまり説明できるか否かもうやむやにしたままで)クイズに答えられなかったぐらいのことで「オマエはバカだ」と言い放ってみたり笑い者にしてみたり,話題の輪からそういう人を黙らせたり追い出してしまったり。テレビ番組なら別にどうでもいいんですが,日常の中でそういう出来事に遭遇することが実は決して少なくなかったりする。

 私があまり「楽しくない」って思ってしまうのは,それに答えられなかったというだけで「こんな事も知らないの〜?」的に醸し出される,どこか勝ち誇ったり恥ずかしがらされたりするような状況が当然にされすぎていること。義務教育ではさんざテストされたけど,今はほとんど日常会話で使うこともないような語彙って幾らでもあります。そんなのを「覚えている」か「覚えていないか」だけで優越感と劣等感の構図をつくり出して,見る者の恐怖心を煽っているような番組や出版物がけっこうある(「知っていること」が無価値だ,と言ってるわけではありません。念のため)。東大vs京大vs早慶 なんてバトル形式になってはいるけど,結局は「教養合戦」なんかではなくて単に「クイズ合戦」になってしまってる番組とかもね。それを競うことに何の意味があるの?って(まあ,そこで私は無邪気に「すごいね」って言ってればいいんですよね,バラエティー番組なんだし)。でも実生活の中で,上司が部下に対して,教師が学生に対して,そういう威圧感を持ち込まれたそのせいで憂鬱になるのは本当に楽しくない。「ひせんきょ」権が「りっこうほ」権だとしかその場で思いつけなかったとしても,語彙とそれが意味するところってのは別物ですし。会話においては「瞬発力」って意外と大事だって言いますけど,ゆっくり考えて物事を引き出すチャンネルだって有って構わないと思うのですが。

 いずれにせよ,教養(とされるもの)があまり「他人と闘うための武器」になってほしくない気がしているんです。教養って「無いと恥ずかしいもの」——的外れではないけど,恐怖心を煽ってまでして商売するところまで行ってしまいつつある,そのことには苦言を呈したい。そこまではやりすぎだ,と。具体的にいえば,斎藤孝先生の著書って以前はとても好きだったんだけど,さすがに多作すぎるのと,新刊書での「教養への畏敬の押し売り」が目立つようになったあたりから息苦しくなってしまって……最近素直に読めなくなってしまってるんです。語り口がわかりやすい著書が多いだけに,本当にもったいなく感じてるんです。

 教養に関しても「知ってると楽しいでしょ」……程度のところでまずは許してくれないだろうか(もちろん学校教育と切り離されたものとして言っています)。それぐらいの高さの敷居から入れたら,知ることって何て楽しいものなんだろうと思えそうな気がするんだけどな。私は理系人間ですが,たとえば科学のルーツって突き詰めていけばまちがいなく世界史へつながっていく。アリストテレスが何者かわからないまま,ケプラーガリレイニュートンが時系列で並べられないまま,哲学と自然哲学がまったく切り離されたものとみなして無関心なまま……大学に入って卒業してしまった自分っていったい何だったんだろうな,と。受験で出ないという理由だけでそれらを放棄した自分があまりにも浅はかで……「高校で世界史履修しなかったから」なんて問題ではないんですよね。そのことでどれだけチャンスを狭めていたことだか。

 いやいやいや。だから今,少し頑張って「お勉強」中です。むしろこれからマイナスを取り返したいという野望抱いております。5年後ぐらいにこれぐらいの軽い書き物の中で,ぱっとそうした教養を(イヤミを伴うことなく)引用しながら文章を書けることが夢です。できるかな?

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