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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



「順路」

つぶやき ネット

 

 ちょうど丸1年前ぐらいに,ひとりで福井へ遊びに出かけて永平寺に行きました。

 昨年は福井へ2度行きました。なんか好きなんですよね。福井駅周辺のこぢんまりとした感じ(最近はきっと北陸新幹線がらみですかね……工事やってた場所がやたら多かったですが)。まだ路面電車が走ってたりなんか。あと,えちぜん鉄道芦原温泉とか東尋坊のほう,それと恐竜博物館(あれは初めて訪れると本当にびっくりします!)と永平寺のほうを巡るときの,電車に乗っているときの,短すぎず長すぎもしない時間の流れかたとか車窓の心地よさとかがたまたま肌に合ったみたいで。

 ……で永平寺。とても厳かな空間ではあったのだけど,もう少し人が少なければ落ち着くのになあって思ってしまったのを覚えてます。その時,たまたま観光客が多かっただけなのかも知れないけど。なんだか「順路」って書かれた掲示をみなが同じようにゾロゾロと追って,誰も彼もとまったく同じように型どおりに歩いていった小一時間。顔なじみでさえないのに,同じ集団・同じ顔を見つづけながら過ごすその間,なにか不思議な空しさを覚えてしまったもので——いや,それともあの感じこそが実は,人生自体が「そういうもの」ってことを暗に体現していたのでしょうか(笑)。

 いや,別にそういう事って永平寺だけに限ったことなんかではありません。普段まったく興味など無いくせして,観光地を訪れると何となく入ってしまう美術館とか博物館とかもそう。実際,展示物を追っている——というよりは,ただ「順路」と掲げられた手順を追っていただけってことに気づいてしまうと,貧困な楽しみ方しかできなかった自分自身に対して急に無力感を持ったりしてしまうものです。

 ネットサーフィンをしているときにも,暗に仕込まれた「順路」の存在を感じることがあります。

 それはきっとポータルサイト上にも仕込まれている。私の通る道というのはいつもYahoo!なりGoogleなりにコントロールされてしまっているのではないか……そんな感じを覚えてしまうことがあります。実はもっと普遍的なものとして,ポータルサイトでのユーザーの行動って予想されていたりなんかするのかな。だからなのでしょうけど,バナー広告といえばたいてい同じようなものばかりに遭遇する。それどころか,端末を変えて(つまりiPhoneiPadで)閲覧してるときにも,やはりそうなってしまっている。そこまではまだ納得できるのですが……。

 あるとき,ネットカフェの「個人所有ではない」PCを操作したときにまで,私有のPCのときとまったく同じバナーと出会ってばかりいるように感じて,ものすご〜く気味悪くなってしまったことがあります。まさか俺なんかをGPSで監視してるなんてわけないだろ? それとも私のiPhoneの位置情報から,近隣のPCにそういうバナーを出させたりしてるの? いやいや——もうやめておこう。さすがにそこまで言ってしまうともう被害妄想の人みたいだよ(苦笑)。

 私がふだんやるような検索語を入れたり,ポータルサイトからふだんやるようなリンクの辿り方を無意識のうちにやってしまったものだから,きっとそうなっただけなのだ……そう解釈しています。「こういう検索語を入れる人」「こういう順番にヘッドラインをクリックする人」の傾向を熟知して見抜いているんでしょうね。たかだかほんの数分ばかりポータルサイトからいろんなWEB情報を行き来している間に,私の嗜好とかをズバリ見抜いて,いかにも好みそうなバナーを出してくるってことなんだろうか。100人いれば100通りってのではなくて,たぶんそうしたもののパターンって何通りかのものだけに収束していくような感じは持ってるんです。

 ちょっとした葛藤があります。そのまま「順路」どおり歩くように付き合ったほうがいいのか,それとも何か変則的な使い方を考えてみたほうがいいのか……って。後者だとすれば,どんなアマノジャクを目指せばいいんだろうか(笑)。

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