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いろんなことをつぶやくDJ番組的なブログ。文章書くことはまだ修行中の身です。


ネット海へ放ったいくつかのボトルメール( Messaga in a bottle )       カテゴリーは工事中です



一宮の中3自殺に関して

かなしいこと 教育 社会

 

覚え書きみたいなものとして, 14日の中日新聞のスクラップ(切り抜き)をアップさせていただきます。尾木ママこと尾木直樹先生のコメントが掲載されています。

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残念ながら,担任の先生には「当たり」「外れ」があって,自分の気持ちを分かってもらえないことがある。
中日新聞 2017年2月14日朝刊第39面より引用)

 どんな人間関係でも、相性って溝は埋まらないことがある。その埋まらない溝をどう取り扱うかっていうのも、長い目で見れば生きるためのスキルではあるんです。個人的には以前から書いているように「役割は非対称でも、コミュニケーションは対称であるべきで、それを尊重しあえることが健全な自信を育んでいく」と考えています(綺麗ごとすぎますけどね)。でも一度にはそれは無理で、物事には順番がある。そのあたりの責任の一端を子供にいきなり負わせるのは酷だろうなと。だったらそれは、まず教師のほうが絶対に「噛み合わせから来る好き嫌いを持ち込まない」ってのがルールだろうと。

 教師は聖人君子ではありません。別に聖人君子で無ければ教育してはだめ……とはまったく思わないのですが(残念なのは,教壇に立っていたのが盗撮・わいせつ行為をする者だとか飲酒運転者・万引犯(つまり犯罪者)だったという事件が実際に全国で報道されている。イメージとして,子供にとっての大人が信頼に値しなくなってしまっている。そんな中で主導権を握ることが難しくなっているところはあるのでしょう)。でも,大人社会のパワハラめいたものを希釈もせずに持ち込んでパワーゲームの王様を気取っている教師ってのは相当罪深い。イジメほどの物事ではありませんが,内申点をつけるにしてもきわめて不公平で「基準が曖昧すぎて意味不明」というケースもあったりする(娘に関して実際に遭遇しました)。大人でさえ生き残りにくいような(教師に感情的に気に入られなければ生き残れない)状況を,中学生の時点ですでに抱えさせられてしまっているってのは何なんでしょうね。中学校ってのが「社会の縮図」化しすぎてしまってるんですよね(こう言ってしまうと,一般化の度が過ぎているかも知れませんが。もちろん全てがとは申しません)。

真面目で一生懸命なあなたは,「学校に行かないなんて絶対だめだ」と思っているかもしれない。でももし学校が「危険地帯だ」と感じたら,思い切って休もう。命を守るために学校に行かないのは,全然恥ずかしいことじゃない。
中日新聞 2017年2月14日朝刊第39面より引用) 

 教師が直接危害を加えることがなくても,教師が誰かを感情的に「低く見てしまっている」事実が公然化することは,クラス内に「こいつはイジめて構わないヤツ」という空気感を公然化させてしまっていることに限りなく等しい。そのことに無頓着すぎるのが問題だと思っています。だから教師はそういう事態を丸投げして,「生徒間の問題だから」みたいに他人事ってことにして思考停止してしまってるわけだ。教育委員会は身内を守ろうとしている。まさにクソみたいな連中です(コトバが過ぎて申し訳ありません)。

 生徒間でのヒエラルキー形成はきわめて危険なのです。生徒の社会にヒエラルキーが形成されてしまってはならない。その治安を維持するのが教師の役目なのにさ……。で,そういったヒエラルキースクールカースト的なものに可視化されて,いざ「いじめ」が始まってしまったそのとき,いじめと犯罪の境目がこれまたものすごく曖昧になりつつある。イジメのターゲットになっている生徒の「生命の危険」に大袈裟でなく本当に結びついているというのが恐ろしい。例え恐喝とか暴力とかがそこになくても——「叩きのめすまで叩く」って風潮がネット社会とか大人社会で横行しすぎていて,まさにそのコピーのような構図でそういう暴力的なことが持ち込まれるわけだから,本当に命が危ない

 以前のエントリーでも書きました。本当に逃げてほしい。人生なんて後からいくらでも修正が利く。乗っかるレールから少し外れたぐらいでも大したことはないです。人生に正解なんてあるのですか? 親や教師が言うところの正解は「自分がラクになる観点」にしか基づいていないかも知れない。親をラクに生かすことが,その子が生まれた理由になってはならないと思うのです。相談相手に手間をとらせないことが,不条理を呑み込まねばならない理由になってはならないと思うのです。大人の体面を保つための殉死なんて物事が,どれほど馬鹿馬鹿しいことなのか。

 そういったことをしっかり考えられるような頭になるために(つまり道を外れたあと,生き残るための「知恵」はものすごく必要になる。だからこそ)「学問」が必要なのですが……だから逃げたあと,その学生が自覚的に教育を受ける権利に関して何かのアクションを起こすことは意外と重要な気がしています。何かそういうことのサポートが回っていくような方法ってないかなあ。以前も書きましたが,そういうものに携わってみたい気持ちがあります。力不足すぎて,なかなかアクションを起こす勇気が持てないまま棚上げになってしまっています。

 

覚え書き】教師側の保身の問題(学級崩壊,モンスターペアレンツ)と,生徒側の問題(いじめ等)を切り離しませんか? それがカオスすぎるから,こういう悲しい対立構造を作り出しているのではないだろうか。問題はひとつでなく多層にわたりますが,まずご遺族が納得されることを最優先されなければならないんではないかと。順番に論点を変えながら議論していくしかない。生きている人々の体面にあたる物事は後回しでいいではないか。命が失われたのです。

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